青木得三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木得三 (あおき とくぞう、1885年2月26日 - 1968年) は日本の文官、経済学者。専門は財政学。秋田市生まれ、東京帝国大学法科大学卒。
目次 |
[編集] 略歴
1885年(明治18年)2月26日 (戸籍上は 3月26日)、秋田市中島中丁にて出生。父は官吏で、少年時代は父の転勤に伴って転居を繰り返した。最終的には、旧制新潟中学校(現 新潟県立新潟高等学校) から旧制第一高等学校 (旧制一高) を経て東京帝国大学法科大学を卒業している。
少年時代、1895年(明治28年)の三国干渉、1898年(明治31年)3月の旅順租借などに際してロシア (略称: 露) の横暴に憤慨し、征露論者となった。一高時代の1904年(明治37年)2月に日露戦争が勃発するや、『征露歌』 (ウラルの彼方) を発表。以後数曲の寮歌を作詞しているが、当時の 「尚武」 の校風を反映して、好戦的とも取れる内容のものもある。青木本人は、征露論者だったが、好戦論者ではなかった、と弁解している。[1]
1909年(明治42年)に大学卒業後、大蔵省に入省し、主税局長などを務めた。1931年(昭和6年)に大蔵省を退官後、報知新聞社の論説委員を務め、また大蔵省の依頼により各地で講演を行っている。傍ら、中央大学法学部の依頼を受けて、財政学の講義を行っていた。この縁により、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)9月に中央大学商学部長、1949年(昭和24年)4月に同経済学部長となった。
[編集] 略年表
- 1885年2月26日 - 秋田市にて出生。
- 1892年9月 - 高知市に転居。
- 1897年11月 - 松江市に転居。
- 1899年4月 - 和歌山市に転居。
- 1900年4月 - 新潟市に転居。
- 1902年4月 - 旧制新潟中学校を首席で卒業。
- 1902年9月 - 旧制第一高等学校に入学。
- 1905年7月 - 旧制第一高等学校 大学予科英法科志望を首席で卒業。[2]
- 1909年7月 - 東京帝国大学法科大学を卒業、大蔵省に入省。
- 1914年4月 - 大蔵大臣秘書官となる。
- 1916年4月 - 銀行局普通銀行課長となる (のち横浜税関総務課長に 「左遷」)。[3]
- 1918年11月 - 英仏駐在大蔵事務官となる (1920年12月 日本に帰国)。
- 1923年4月 - 理財局国債課長となる。
- 1924年12月 - 大臣官房文書課長となる。
- 1927年5月 - 東京税務監督局長となる。
- 1929年7月 - 大蔵省主税局長となる (のち横浜税関長に 「左遷」)。
- 1931年12月 - 大蔵省を退官。報知新聞社論説委員となる。
- 1940年7月 - 庶民金庫理事長となる。
- 1942年5月 - 無尽統制会理事長を兼務。
- 1945年6月 - 庶民金融統制会理事長を兼務。
- 1945年11月 - 戦争調査会事務局長官となる。
- 1948年1月 - 公職追放から解かれる (資金統合銀行に連座していた)。
- 1948年9月 - 中央大学商学部長に就任。
- 1949年4月 - 中央大学経済学部長に就任。
- 1957年1月 - 日本学術会議第三部長となる。
- 1957年4月 - 経済学博士。
- 1968年 - 死去。
[編集] 脚注
- ^ 自伝 『おもいで』(1966年) pp.14-16。
- ^ 当時の旧制第一高等学校のコース分けは、志望する分科大学(または学科)別であった。
青木の在校時のコースは以下の通り。英法科志望、仏法科志望、独法科志望、文科志望、工科志望、理科志望、農科志望、医科志望。参照:第一高等学校卒業名簿(大正7年版のスキャン画像:明星大学情報学部 知能情報研究室)
ただし、同期で理科志望の大島正満によれば、人数の都合から、実際のクラス分けは必ずしもコース別ではなかった。例えば、工科志望、理科志望、農科志望は、3年時には工科 1クラス、理・農・工混成 1クラスとに分けられた。参照: 大島正満 『不定芽』 刀江書院、1934年、p.69。 - ^ 「左遷」 とは青木自身の弁。自伝 『おもいで』 の前書きによれば、大蔵省時代に 3回 「左遷」 させられている。
[編集] 著作
- 『貨幣論』 巌松堂書店、1916年。
- 『銀行法論』 巌松堂書店、1924年。
- 『銀行論』 巌松堂書店、1928年。
- 『日本国債論』 日本評論社、1928年。
- 『租税講話』 改造社、1932年。
- 『財政学概論』 賢文館、1933年。
- 『地方財政の理論』 巌松堂書店、1934年。
- 『井上準之助伝』 1935年。
- 1983年、原書房から 『井上準之助 5』 として再刊。ISBN 4562012994
- 『税制改革案批判』 日本講演協会、1936年。
- 『貨幣銀行通論』 巌松堂書店、1937年。
- 『歳入歳出詳論』 巌松堂書店、1938年。
- 『財政学原理』 賢文館、1941年。
- 青木得三・山口忠夫 『国家財政と国民経済』 有斐閣、1941年。
- 『戦費を生む力』 大政翼賛会宣伝部、1943年。
- 『太平洋戦争前史』 1950年-1952年。
- 1998年、ゆまに書房から全6巻で再刊。ISBN 4897144310
- 『若槻礼次郎・浜口雄幸』 時事通信社、1958年。
- 1986年、『日本宰相列伝 11』 として再刊。ISBN 4788785617
- 『おもいで : 青木得三自叙伝』 - (財)大蔵財務協会、1966年。
[編集] 作詞した寮歌
- 征露歌(ウラルの彼方) - 1904年2月。曲は 『アムール川の流血や』。
- 亜細亜の東 - 1904年3月、第一高等学校第十四回紀念祭南寮寮歌。
- 平沙の北に - 1905年3月、第一高等学校第十五回紀念祭南寮寮歌。
- 春は桜花咲く - 1906年3月、第一高等学校第十六回紀念祭東大寄贈歌。
- としはや已に - 1908年3月、第一高等学校第十八回紀念祭東大寄贈歌。
[編集] 参考文献
- 青木得三 『おもいで : 青木得三自叙伝』 (財)大蔵財務協会、1966年11月。
- 竹内洋 『日本の近代12 : 学歴貴族の栄光と挫折』 中央公論新社、1999年4月。ISBN 4124901127。p.220-p.221
- 小川寛大 『「海行かば」を歌ったことがありますか』 エイチアンドアイ、2006年1月。ISBN 4901032844。p.118-p.125、p.282-p.283。