阿井英二郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿井 英二郎(あい えいじろう、1964年9月29日 - )は、日本のプロ野球選手。茨城県稲敷郡美浦村出身。元ヤクルトスワローズの投手、1985年からの3年間、中継ぎのエースとして活躍した。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1982年、東京農業大学第二高等学校のエースとして夏の甲子園に出場。右腕から繰り出す高校生にしては老獪さを感じさせるピッチングがスカウトの目に留まり、その年のドラフト会議でヤクルトから3位指名を受け入団。同期は荒木大輔。1985年、突如ブレイク。1軍初登板を果たすといつの間にか中継ぎに定着し、44試合に登板した。
1986年も安定した投球を見せ、43試合で9勝(6敗)をマークした。1987年は36試合で5勝5敗。しかし1988年から徐々に登板機会が減少し、1990年は1軍での登板が0。同年11月金銭トレードにてロッテオリオンズに入団。しかし2年間で4試合登板にとどまり、結果を残せず、1992年限りで引退。
引退後、医療機器メーカーに勤務しながら日本大学通信教育部を卒業。教員免許を取得し、茨城県つくば市にあるつくば秀英高等学校の教員・野球部の監督をしていた。
現在は、埼玉県川越市にある学校法人星野学園川越東高等学校の教諭として勤務。同校の野球部監督も務めている。
[編集] エピソード
- 全てのプロ野球選手を50音順に並べた際、最初にくるのは彼である(なお、50音順で最後になるのはジョニー・ワーハス(長音も含めればマット・ワトソン)、日本人では和中道男。2008年シーズンの現役選手では、最初が相川亮二、最後が度会博文である)。また、犠打の世界記録を持つ川相昌弘がプロ初犠打を記録したのは、阿井からである。
[編集] 通算成績
年度 | 所属 | 背番 | 登板 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安 | 被本 | 与四 | 与死 | 奪三 | 失点 | 自責 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983-1984 | ヤクルト | 43 | - | |||||||||||||||
1985 | 44 | 0 | 3 | 5 | 2 | .375 | 457 | 105 | 111 | 11 | 38 | 3 | 79 | 61 | 50 | 4.29 | ||
1986 | 43 | 1 | 9 | 6 | 1 | .600 | 443 | 104 1/3 | 98 | 16 | 44 | 4 | 73 | 52 | 46 | 3.97 | ||
1987 | 36 | 0 | 5 | 5 | 1 | .500 | 368 | 79 | 104 | 14 | 28 | 5 | 49 | 66 | 57 | 6.49 | ||
1988 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 84 | 19 1/3 | 17 | 1 | 10 | 0 | 12 | 9 | 9 | 4.19 | ||
1989 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 35 | 7 | 13 | 1 | 4 | 0 | 4 | 6 | 6 | 7.71 | ||
1990 | - | |||||||||||||||||
1991 | ロッテ | 33 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 12 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 3.00 |
1992 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 16 | 3 1/3 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 | 5.40 | ||
通算 | 144 | 1 | 17 | 17 | 4 | .500 | 1415 | 321 | 349 | 43 | 127 | 13 | 219 | 198 | 171 | 4.79 |
- 初登板 1985年4月17日広島戦(神宮)3-7 6回から2番手登板、2回1失点
- 初勝利 1985年8月3日中日戦(ナゴヤ)4-3 7回から3番手登板、3回無失点
- 初セーブ 1985年8月20日広島戦(神宮)3-2 9回2死から3番手登板、1/3回無失点
- 初完投 1986年7月6日中日戦(ナゴヤ)6-1 被安打9 奪三振6 四死球1
[編集] 関連項目
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1982年ドラフト指名選手 |
---|
1位:荒木大輔 / 2位:新谷博 / 3位:阿井英二郎 / 4位:広瀬哲朗 / 5位:上地和彦 / 6位:西沢浩一 |