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間切(まぎり)は、沖縄における、琉球王国時代の行政区分のひとつ。現在の日本で言えば、理念的には都道府県にあたるが、現実の面積から言えば、現在の市町村に相当する。
琉球の歴史の中では大きく2度、間切の区割り変更が行われている。また奄美諸島では、薩摩が支配下に置いた後も間切制を続け、増減も行っている。
1907年(明治40年)の勅令第46号沖縄県及島嶼町村制が示され、翌1908年、間切は廃止された。
[編集] 間切一覧
以下に、三山時代からの間切とその後の新設間切(美里、久志、本部、宜野湾、小禄、恩納、大宜味、与那城の各間切)を記す。
[編集] 北山王国(山北王国)
- 沖縄本島北部と周辺島嶼
- 国頭間切(現:国頭村)
- 大宜味間切(現:大宜味村、1673年新設)
- 伊平屋間切(現:伊平屋村、伊是名村)
- 伊江間切(現:伊江村)
- 羽地間切(現:名護市(羽地地区、屋我地地区))
- 今帰仁間切(現:今帰仁村)
- 本部間切(現:本部町、1666年新設)
- 名護間切(現:名護市(羽地・屋我地の両地区除く))
- 久志間切(現:東村と名護市の一部、1673年新設)
- 金武間切(現:金武町、宜野座村、)
- 奄美諸島南部
[編集] 中山王国
- 沖縄本島中部と周辺島嶼
- 恩納間切(現:恩納村、1673年新設)
- 読谷山間切(現:読谷村)
- 越来間切(現:沖縄市)
- 美里間切(現:沖縄市、うるま市(石川地区)1666年新設)
- 具志川間切(現:うるま市(具志川地区))
- 勝連間切(現:うるま市(勝連地区))
- 与那城間切(現:うるま市(与那城地区)、1676年新設)
- 北谷間切(現:北谷町、嘉手納町、沖縄市の一部)
- 中城間切(現:中城村、北中城村、うるま市(津堅島))
- 宜野湾間切(現:宜野湾市、1671年新設)
- 浦添間切(現:浦添市)
- 仲里間切(現:久米島町(仲里地区))
- 上江州間切(現:久米島町(具志川地区))
[編集] 南山王国(山南王国)
- 沖縄本島南部と周辺島嶼
- 豊見城間切(現:豊見城市)
- 小禄間切(現:那覇市(小禄地区)、1672年新設)
- 島尻大里間切(現:糸満市(喜屋武地区、摩文仁地区除く))
- 喜屋武間切(現:糸満市(喜屋武地区))
- 摩文仁間切(現:糸満市(摩文仁地区))
- 東風平間切(現:八重瀬町(東風平地区))
- 具志頭間切(現:八重瀬町(具志頭地区))
- 島添大里間切(現:南城市(大里地区)、与那原町)
- 佐敷間切(現:南城市(佐敷地区))
- 知念間切(現:南城市(知念地区))
- 玉城間切(現:南城市(玉城地区))
[編集] 両先島地域
[編集] 奄美諸島北部
- 奄美大島→薩摩藩(大隅国)へ編入
- 笠利間切(現:鹿児島県奄美市笠利町)
- 古見間切(現:鹿児島県大島郡龍郷町・奄美市)
- 名瀬間切(現:鹿児島県大島郡大和村・奄美市)
- 焼内間切(現:鹿児島県大島郡大和村・宇検村)
- 住用間切(現:鹿児島県奄美市住用町)
- 西方間切(現:鹿児島県大島郡瀬戸内町)
- 東方間切(現:鹿児島県大島郡瀬戸内町)
- 喜界島→薩摩藩(大隅国)へ編入
- 徳之島→薩摩藩(大隅国)へ編入
- 東間切(現:鹿児島県大島郡徳之島町)
- 面縄間切(現:鹿児島県大島郡伊仙町)
- 西目間切(現:鹿児島県大島郡天城町)
[編集] 関連事項