金武町
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金武町(きんちょう)は、沖縄県国頭郡の町。中川区・並里区・金武区・伊芸区・屋嘉区の五つの行政区からなる。
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[編集] 地理
沖縄本島北部の東海岸に位置する。
[編集] 隣接する自治体
[編集] 歴史
間切時代の金武は現在の恩納村・宜野座村・名護市の一部にまたがり、間切番所は喜瀬武原(現恩納村)に置かれていた。
- 1673年 恩納・瀬良垣・安富祖・名嘉真の4集落が恩納間切として、久志・辺野古の2集落を久志間切として分離。
- 1853年5月 ペリー艦隊が琉球を訪れ各地を調査した際、金武間切では並里集落北側の丘で宿営を行った。当時西洋人を全て「ウランダー(オランダ人)」と呼んでいたため、その森は「オランダ森」と呼ばれるようになった。
- 1908年 島嶼町村制で金武間切から金武村となる。
- 1945年 沖縄戦により避難民となった沖縄本島中南部の住民の収容所が設置され、「漢那市」「福山市」「惣慶市」「古知屋市」「高松市」「宜野座市」ができる。これらは米軍が収容所を市として扱ったもので正式ではない。
戦後、村面積の約60%が米軍用地として接収され、キャンプ・ハンセンが建設された。
- 1946年 避難民収容所の「宜野座市」があった金武村北部の4字が分立し宜野座村となる
- 1975年 沖縄自動車道が開通(当時は許田~石川間、1987年に那覇まで開通。インターチェンジも金武だけだったが、那覇まで延伸後に屋嘉ICが新設)
- 1980年4月 町に昇格し金武町となる
- 1997年 米軍による県道104号線超えの実弾砲撃訓練が廃止され、訓練そのものが本土へ移転される
[編集] 教育
小中学校
- 中川小学校
- 金武小学校
- 嘉芸小学校
- 金武中学校
[編集] 地域
- 伊芸(いげい)
- 金武(きん)
- 屋嘉(やか)
[編集] 米軍基地
- キャンプハンセン
- ブルービーチ(キャンプハンセンの一部である。)
※山向こうの恩納村では海岸線が整備され、各種観光施設が盛んなのに比べ 米軍の訓練施設使用の影響や、森林伐採による赤土流出で、金武町側の海岸は 観光に適さなくなってしまい、開発されていない。
[編集] 交通
[編集] 路線バス
- 21番・名護東線 琉球バス交通
- 具志川バスターミナル-安慶名-石川-金武-宜野座-許田-名護バスターミナル
- 77番・名護東(辺野古)線 沖縄バス
- 那覇バスターミナル-牧志/久茂地-大山-普天間-コザ-安慶名-石川-金武-宜野座-辺野古-名護バスターミナル
- 111番・高速バス 琉球バス交通・沖縄バス・那覇バス・東陽バスの共同運行、村内には金武ICに停留所あり
かつては県道104号を経由して恩納村とを結ぶ64番喜瀬武原線が運行されていたが1995年に廃止された。
[編集] 道路
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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