野宮家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野宮家(ののみやけ)は、日本の氏族(公家)。藤原北家師実流花山院家の庶流で、左大臣花山院定熙の孫である権大納言野宮定逸を祖とする。家格は羽林家。家禄は150石で、後に合力米150俵が加増された。家紋は杜若。
野宮定逸は花山院定熙の孫だったが、父の花山院忠長が慶長14年(1609年)後陽成天皇の勅勘により蝦夷地(北海道)に流罪になったため(猪熊事件)、祖父に養育されて成人し、後水尾天皇の意向により祖父の養子として野宮家を創立した。2代野宮定縁・3代野宮定基は中院家からの養子で、定縁は熊沢蕃山に和漢の学を学び、定基は有職四天王(滋野井公澄・平松時方・東園基量・野宮定基)の一人として名高く、賀茂祭の復興にも尽力した。初代定逸は武家伝奏を務め、6代野宮定晴・10代野宮定祥は議奏を務め、幕末の11代野宮定功は和宮御縁組御用掛・議奏・武家伝奏を歴任するなど、朝議に参与した者が多い。また歴代の当主は日記など数多くの記録をのこしている。明治17年に野宮定穀が子爵となった。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。