野宮定祥
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野宮 定祥(ののみや さだなか、寛政12年1月15日(1800年2月8日) - 安政5年9月2日(1858年10月8日))は、江戸時代後期の公卿。藤原北家師実流野宮家の当主。父は正四位下左近衛権中将野宮定静。母は正二位権大納言中山愛親の娘。正室は正三位左近衛権中将難波宗享の娘。子に野宮定功がおり、養女に山科言縄室(久世通煕の娘)がいた。
天保6年(1835年)参議になる。天保11年以降東宮統仁親王(のちの孝明天皇)に近侍する。嘉永元年(1848年)権中納言・議奏となる。安政元年(1854年)権大納言に昇進。その後正二位に至った。安政5年(1858年)9月2日、59歳で薨去。著作に『野宮定祥東宮三卿留』などがある。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。