追っかけ
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追っかけ(おっかけ)は、タレント・芸能人など(更には女性皇族まで)、著名人や特別な存在の人物を対象としてつきまとうこと。また、そのような行為を行う人。追っかけの対象となる人物は俳優・歌手・スポーツ選手等多岐に渡り、追っかけをする側は単独もいれば徒党を組むものもいる。
英語ではGroupie(グルーピー)と呼ばれる。
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[編集] 歴史
[編集] 明治時代
追っかけの歴史は古くは明治20年代の娘義太夫(当時寄席で落語や講談に次ぐ人気を誇った、三味線に合わせて浄瑠璃を語る女性の事)の頃には既に見られるという。学生達が娘義太夫に熱中し演ずる最中に簪(かんざし)が落ちるとその争奪戦が始まり、娘義太夫が別の寄席に移動するとそれについていった。人力車を追い駆けてである。明治25年5月26日の読売新聞にはその「放蕩書生」らが勉強時間を浪費する事を嘆く記事がある。大卒の初任給が25円程度の時代に寄席通いで50円も使ったというのである。当時は彼等の事を「追駆連」(おっかけれん)と呼んだという。
[編集] 第二次大戦中
俳優加東大介の記した『南の島に雪が降る』には珍種の追っかけが見える。補給が途絶し孤立した西部ニューギニアのマノクワリで、兵隊に生きる希望を与えた演劇の話だが、当時加東が属した「演芸分隊」には女形役者がいた。当時の兵隊は全て男であるから見込みのある物を選んで女形としたが、女の役をした者は役の老若に関らず人気が上がり、分隊の役者たちも例外なく女の役を志願した。或る時女形で最も人気のある者が体調を崩し寝込んだ時には見舞いが絶えず、或る将校は内地の家族の為にとっておいたチョコレート(カビが生えていたと言うが…)を渡し、海軍士官は危険を伴う漁法で刺身を調達した。ある者は楽屋にたむろし、ある者は入浴中を見計らって「背中を流します」と。男同士だから遠慮は要らないのである。
[編集] 芸能人の追っかけ
俳優・タレント・歌手などの追っかけは、テレビ局や撮影所の周辺などでこれを見られる。彼等の情報収集力には本職の記者も舌を巻く。張り込み・尾行そして追っかけ同士の情報交換である。原吾一著「スミレの花は夜ひらく~宝塚・おっかけ六十年の足跡」ではその名の通り宝塚一筋60年の或るファンの話を元に構成されている。平成8年に鹿砦社より発売されている「ジャニーズおっかけマップ」は、その情報源の一つがやはり「追っかけ」とする。もっとも、この本は嘗ては所属するタレントの詳細な住所を掲載した事から訴訟にまで発展し、発禁処分となった。同じく同社版「タカラヅカおっかけマップ」もまた訴訟となる。
同社はこの「ジャニーズ―」を、1996年の第一弾以降毎年新作を出している。おっかけマップシリーズには女子アナ・阪神タイガースのものもある。サイゾー2000年12月号には「おっかけマニュアル」と銘打った特集が掲載された。目標を捉える方法、張り込みのノウハウ、果ては尾行のやり方まで。この記事はインターネット上にも公開されている。この特集中でも一般の追っかけが情報源と成り得る事が記されている。
「ジャニーズ・マニアックス―これがオリキの生きる道」という本がある。発行は前出鹿砦社、執筆はおっかけマップと同じジャニーズ研究会である。本の題名にもある「オリキ」、つまりジャニーズ(所属タレント)の追っかけの内、追っかけをする行為に特に力(りき)が入っている人物を指す俗語だ。もとは熱中の度合いで区別されていたようだが、後にはそれ自体で集団を作る。リーダー(仕切り担当の顔役か?)を「トップさん」と呼び、目標タレントへの接触の仕方のルールや情報交換等を独自で行う。オリキではないファンを「イッピ」(一般ピープルの略)と呼び、さらにファンではない人を「茶の間」と呼ぶ。オリキ・追っかけではなくとも目当てのタレントの行動予定は気になるものだが、オリキ独自の情報網によって入手された情報を特に「オリキ情報」と呼び、それ専用の掲示板もインターネット上に存在する。その情報が真実なら歓迎されるが、オリキ情報を騙り書き込む例もある事から多くのファン掲示板では「オリキネタ禁止」と警告する。「トップさん」の元に一定の規則があるというが、オリキの存在がジャニーズファン全体の評価を落としているとの説もある。 また追っかけ=親衛隊 (アイドル)というイメージがあるが、全く違う物である。
小説ではあるが東野圭吾「怪笑小説」にある短編の一つその名も「おつかけバアさん」では芸能人の追っかけにはまり財産を使い果たす老女が描かれている。
[編集] 「JF」即ち上祐ファンクラブ
嘗て日本を震撼させたオウム真理教。複数の事件に教団が関与したと疑われるようになった1995年頃、教団幹部の上祐史浩は連日ワイドショー等に出演し続け、弁明を行っていた。或る時は猛然と、或る時はのらりくらりとかわす様子から当時「ああいえば上祐」という語が生まれたが、その頃若い女性の中で上祐のファンが発生した。彼女達は総じて上祐ギャルと呼ばれ、上祐ファンクラブなる集団もあったという。単に支持し好感を持つだけではなく、正におっかけで熱狂的であった。教団の危険性が叫ばれている中でである。
上祐は1995年10月に逮捕され、懲役3年の刑に服すがこの時獄中に手紙を送り熱烈なラブコールをする者も在ったと言う。上祐の逮捕後上祐史浩後援会による写真集「菩薩」が関連施設で販売された。また、後に判明した事であるが2003年に北朝鮮に亡命を図り豆満江へ飛び込んだ女性は嘗て「上祐ギャル」で、それが高じて教団に入信したという報道が為された。件の女性に限らず、嘗ておっかけであった者が入信する例が相当数あったという。
[編集] 年齢層を拡大した韓流ブーム
2003年4月ペ・ヨンジュン、チェ・ジウ主演のKBS制作ドラマ『冬のソナタ』がNHK-BSで放送開始、同年12月からその再放送がNHK総合で行われる。これが高視聴率を獲得し、週間視聴率ドラマ部門上位に。このドラマのヒットから「冬ソナ」・「ヨン様」が流行語となり、民放各社もこれに続いて韓国ドラマを放送、一躍「韓国」が人気となる。これらを「韓流」、「韓流ブーム」と称した。ドラマの視聴者で、ブームの構成者はある一定の年齢層の女性で、中高年で主婦が多かった。前述のヨン様は勿論ペ・ヨンジュンであるが、共演したチェ・ジウはジウ姫となり他の韓国俳優らから複数の様と姫が出てきた。これらを「韓流スター」と名付けられ、ファンらは御目当てのスターが訪日すると空港に、イベント会場に集結。予想人員を超した会場では怪我人が出る始末であった。この韓流ブームは日本に限った事ではなく、他の東南アジア諸国でも見られた。
[編集] 王子さまブーム
2007年頃からみられる。嚆矢が石川遼や斎藤佑樹の例であろう。石川が“ハニカミ王子”、斎藤が“ハンカチ王子”と呼ばれるようになったのに伴い、石川の出場するトーナメントや斎藤が登板する試合には、どう贔屓目に見ても試合自体を観戦しに来たわけではないと思われる女性ファンが殺到した。これにより、マスコミがスポーツ選手に“**王子”とあだ名をつけることが流行し出している。
[編集] 参考文献
- 原吾一「スミレの花は夜ひらく~宝塚・おっかけ六十年の足跡」鹿砦社
- 水野悠子「知られざる芸能史 娘義太夫-スキャンダルと文化のあいだ」ISBN 412101412x
- ジャニーズ研究会「ジャニーズ・マニアックス―これがオリキの生きる道」鹿砦社(平成11年)ISBN 4846303179
- 島村麻里「ロマンチックウイルス―ときめき感染症の女たち」集英社 ISBN 4087203832