軌保博光
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軌保 博光(のりやす ひろみつ 1968年2月2日 - )は、日本の映画監督・路上詩人、元お笑い芸人である。軌保白井博光の名義を使用していた時期もある。2002年、てんつくマンと改名。兵庫県出身。
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[編集] 略歴
- 1987年、吉本総合芸能学院(大阪校)に入学する。同期の山崎邦正と「GSX(ガスペケ)」を結成しデビューする。東京進出時に「TEAM-0」に改名。ダウンタウンの番組を中心にテレビ出演を果たすが、相方の山崎ほど人気が出ず、1992年に解散後は、メディアへの露出が激減。
- 1991年、映画製作に興味を持つ。
- 1994年、「やりたいことが見つかった」と吉本興業退社。映画製作の道に入る。松本人志は、この時の状況を「事務所泣かせ」と表現した[要出典]。
- 1995年、Vシネマ「OLの性3」で、脚本・監督として出発。役者としては1994年から96年にかけて新宿欲望探偵、縄師事件簿(V)、校内写生'96など多くのVシネマに出演している。
- 1996年、ミュージシャン谷口宗一とともにTEAM-Bとして映画製作を行う他、1998年1ヵ月連続毎日フルマラソン(42.195キロ)を完走[1]。また、路上詩人として「あなたを見てインスピレーションで言葉を書きます」という有料パフォーマンスを行い、テレビで取り上げられる[要出典]。
- 1999年、8月渋谷ロフトにおいて初個展。10月TBSラジオ「のりやすの吉祥寺楽観主義」、「週刊アスキー」連載始まる。
- 2000年、1月東京八重洲地下街での個展が八重洲地下街イベントの動員記録を達成。4月TBSラジオ「のりやすの答」開始。8月ザウルスにて「軌保の楽しんでなんぼ」の連載開始。
- 2002年、「てんつくマン」と改名、「天国を創るニューヒーロー!?」と名乗る。NGOを結成し、環境保護活動などを始める。
- 2003年、映画「107+1~天国はつくるもの~」を製作し、以後2年間で観客動員5万人を突破(2007年現在8万人)[1]。
- 2004年、地球温暖化防止を掲げ、飛行機をチャーターして中国で植林事業を行うNGO活動を発足。
- 2006年より、小豆島を舞台に次回作の映画「107+1~天国はつくるもの~part2 ちょっと天国つくっちゃいました編」の撮影を開始している。
- 2007年、地球温暖化防止を呼びかけた「豪快な号外」を約3000万部発行し、配布するプロジェクトTEAM GOGO! 2007を主催する。
[編集] 「ネットワークビジネス」とのつながり
アムウェイやナチュラリー・プラスなどの愛用者であることをブログなどで公表している。2006年にはナチュラリープラス(NP)会員だけの大規模集会で司会役をつとめた[2]。また、後述の豪快な号外においてNPのトップ・ディストリビュータがてんつくマンの活動にいち早く同意し、呼びかけ人の一人となっている。
[編集] 「豪快な号外」配布活動
詳細は豪快な号外参照のこと
かねてより環境保護活動にも熱心で、2007年には「豪快な号外」というタイトルで、環境保護を訴える新聞形式の意見広告を配布。配布枚数は公称3000万部という空前の規模で、支援者らが様々な場所で配布活動を行った。資金は公称1億2千万円で、すべて支持者の寄付および募金によって賄われたという。
この「豪快な号外」は、その発行による環境負荷のみならず、本来は環境保護とは一線を画するキャンドルナイトと誤認する手法や、募金の集め方、収支決算の方法などでも批判を受けている。この件に関して軌保博光(てんつくマン)は、自分の気持ちを公式サイトのメッセージに掲載している。[3]
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『感動無き続く人生に興味なし』(軌保博光)クラブサンクチュアリ、1999年12月、ISBN 4921132844
- 『答』(軌保博光)クラブサンクチュアリ、1999年12月、ISBN 4921132836
- 『奇跡は路上に落ちている』(てんつくマン)角川書店、2000年05月、ISBN 4048836242
- 『天国はつくるもの - 天使と戦士に贈る詩』(てんつくマン)クラブサンクチュアリ、2004年05月、ISBN 4861130182
[編集] 共著
- 『そばにいるから』クラブサンクチュアリ、マツオミホ(絵)のりやすひろみつ(言葉)2004年05月、ISBN 4861130190(ココロネットワークス2002年刊の再刊)