豊橋市立西郷小学校
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豊橋市立西郷小学校(とよはししりつ さいごう しょうがっこう)は、愛知県豊橋市北東部の石巻萩平(いしまきはぎひら)町にある小学校。
この小学校の卒業生は豊橋市立石巻中学校へ通う。
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[編集] 校名
西郷は西鄕とも書く。西郷の名は地名から来たものであるが、戦国時代の文明10年以降に呼ばれた名とされる。元は小野田庄、太陽寺郷などの名が有ったと言う。それをさかのぼる昔、藤原氏系の九州の西郷氏が、三河国守護となった仁木義長(仁木氏)に連れられて三河国の守護代と成った。これが三河西郷氏である。15世紀半ば、西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)・頼嗣(よりつぐ)親子の代の時三河国岡崎城を築城し初代城主となって居る。この一族が岡崎より旧八名郡のこの辺り一帯に住み、西郷と呼ばれるように成ったと言うのが通説である。
後に西郷正勝の外孫が西郷清員の養女と成って徳川家康の側室となり、2代征夷大将軍徳川秀忠・尾張国清洲藩(同県清須市)初代藩主松平忠吉(東条松平家を継ぐ)の生母と成る。この生母こそ、西郷局(名は愛、院号は竜泉院・宝台院)である。三河西郷氏は徳川時代初期は安房国東条藩(千葉県鴨川市東町)や下野国上田藩(栃木県下都賀郡壬生町)で大名(後期は旗本)であった。幕末の奥州会津藩(福島県会津若松市)家老の西郷頼母もこの三河西郷氏の血統と言われる。
また、明治維新の立役者九州薩摩藩(鹿児島県鹿児島市)の西郷隆盛も、三河国に移住せず九州に残った西郷一族のところに島津氏が攻め込み臣従した家とされ、この西郷家の遠縁と言う。
[編集] 校区内の城址
学校正門の横に城址・古戦場の地図と説明文が有る。
- 五本松城 – 永禄4年(1561年)西郷正勝が築城し、月ヶ谷(わちがや)城{愛知県豊橋市嵩山(すせ)町}から三河西郷氏の本城を移転。但し、翌年、今川氏真家臣の朝比奈氏に攻められ落城。
- 西川城 – 三河西郷氏の支城。西郷清員が城主となる。後に三河吉田藩主小笠原長矩が弟小笠原長秋に2000石を授けここに陣屋を置く。
[編集] 所在地
〒441-1103 愛知県豊橋市石巻萩平町城脇164番地-2