覇王マガジン
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覇王マガジン(はおうまがじん)は、1993年から1997年にかけて講談社が刊行していたゲーム雑誌(創刊時の雑誌名は『覇王 -HAOH-』)。
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[編集] 概要
講談社は、子会社のアスク講談社(現・アスク)がゲームソフトの開発・販売に進出していたものの集英社・小学館などに比べるとゲーム業界とはある程度の距離を置く関係を続けて来た。ところが、1993年に一転してゲーム雑誌参入を表明し同年9月にコミックボンボンのゲーム担当編集者らが中心となって『覇王』が創刊された。覇王は当初、月刊誌であったが創刊時から半年後に月2回刊へ移行することを宣言していた。
毎号、漫画家がリレー形式で表紙を手がけており創刊号は大友克洋、この他に 安彦良和、麻宮騎亜、島本和彦、石川賢なども表紙を描いている。また、ラジオ番組「佐竹雅昭の覇王塾」(文化放送)との番組・誌面での連動も行っていた。
しかし、1994年末の次世代ゲーム機ラッシュに伴うゲーム雑誌の氾濫で部数が低迷。1996年3月より『月刊覇王マガジン』に改題し、Vジャンプ(集英社)やファミ通ブロス(エンターブレイン)に近い路線へリニューアルしたが、部数は回復せず1997年5月号を最後に休刊した。
[編集] 特徴
「覇王」の頃はスーパーファミコンとメガドライブのゲームを多く紹介していて、PCエンジンに関しては割りと少なめであった。スーパーファミコンの一部のゲームソフトのメガ容量を他誌では”24メガ”と表記していたのに対し、覇王は”容量未定”と表記した。他のゲーム誌に比べて情報収集は遅く、レビューについては、講談社が得意としている『機動戦士ガンダム』系のゲームや講談社系の漫画を題材にしたキャラクターゲーム等は、他誌のレビューよりも評価が甘いという指摘もある。
「覇王マガジン」時代には、プレイステーションとセガサターンのソフトの紹介をするようになったが、情報の遅れとガンダム関連のゲームの特集ページにほとんどを費やすようになった。特に小学館と集英社などの他誌からとのタイアップ作品は、一切掲載せず、講談社のメディアミックス路線の一環としてのゲーム情報誌の立場を堅持した。
「覇王」のイメージキャラクターとして、格闘家の佐竹雅昭を起用し「佐竹雅昭の覇王塾」というミニコーナーを連載していた。また、「覇王」のタイアップ番組に「スーパーゲームクイズ覇王」(テレビ東京系)も存在した。
[編集] 覇王ゲームスペシャル、講談社ゲームBOOKS
ゲーム攻略本「覇王ゲームスペシャル」は1994年に刊行。主に覇王と覇王マガジンで掲載されたゲームを中心に、中にはカプコンから発売されたディズニー系のゲームの攻略本も刊行していた。また、現在小学館の独占になっている「ポケットモンスター」(一部の作品による)の攻略本も出していた。 覇王マガジン本誌の休刊後も、コミックボンボンのゲームコーナーなどで紹介していたゲーム(「メダロット」「ロックマン」他)をメインに刊行。2001年まで”覇王”ブランドで刊行された。
現在、講談社が刊行するゲーム攻略本は「講談社ゲームBOOKS」で、こちらは講談社系キャラクターゲームと「三国志大戦」「頭文字D」などのアーケードゲームを中心に刊行中。
ガンダム関連のゲームソフト攻略本も「覇王ゲームスペシャル」と「講談社ゲームBOOKS」の両誌で刊行されていたが、2005年発売のPS2ソフト「機動戦士ガンダム 一年戦争」を最後に、現在ガンダム関連のゲーム攻略本は刊行されていない。
[編集] 覇王・覇王マガジンで連載された漫画
覇王と覇王マガジンで連載された代表作はこちら。このうち『機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY』と『新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST』は、その後ボンボンKCで再販され、安易に入手可能。