西武多摩湖線
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多摩湖線(たまこせん)は、東京都国分寺市の国分寺駅から東京都東村山市の西武遊園地駅を結ぶ西武鉄道が運営する鉄道路線である。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
元々は多摩湖鉄道が開業した路線を武蔵野鉄道(現・西武鉄道の前身)が1940年に合併したもので、複雑な路線の伸縮、駅の改廃・改称を繰り返している。また、戦後かなりの間架線電圧は600Vのまま残され、1500Vの他線区から独立した存在であった。
- 1928年(昭和3年)4月6日 多摩湖線国分寺駅~萩山駅間(4.4km)開業
- 1928年(昭和3年)11月2日 小平線萩山駅~本小平駅間(1.0km)開業(本小平駅は多摩湖鉄道の駅で、武蔵野鉄道の小平駅近くに設置された)
- 1930年(昭和5年)1月23日 萩山駅~村山貯水池(仮)駅間(3.6km)開業(村山貯水池(仮)駅は現在の武蔵大和駅で、今より八坂よりにあった)
- 1930年(昭和5年)5月7日 国分寺駅~村山貯水池(仮)駅電化(直流600V)
- 1932年(昭和7年)8月15日 萩山駅~本小平駅間電化(直流600V)
- 1933年(昭和8年)9月11日 商大予科前駅開業。桜堤駅移転
- 1936年(昭和11年)12月30日 村山貯水池(仮)駅~村山貯水池駅間(0.9km)開業(村山貯水池(仮)駅は武蔵大和駅に改称のうえ現在位置に移設)
- 1939年(昭和14年)1月1日 厚生村駅開業
- 1940年(昭和15年)3月12日 武蔵野鉄道に合併
- 1942年(昭和17年)10月1日 八坂駅開業
- 1945年(昭和20年)2月3日 東国分寺駅、桜堤駅、厚生村駅休止
- 1949年(昭和24年)5月1日 商大予科前駅を一橋大学駅に改称
- 1949年(昭和24年)11月15日 本小平駅を小平駅に統合
- 1951年(昭和26年)9月1日 狭山公園前駅を多摩湖駅に改称
- 1953年(昭和28年)1月15日 休止中の桜堤駅、厚生村駅廃止
- 1954年(昭和29年)10月10日 休止中の東国分寺駅廃止
- 1955年(昭和30年)3月18日 小平駅~萩山駅間が1500Vに昇圧
- 1958年(昭和33年)9月16日 萩山駅~多摩湖駅間が1500Vに昇圧。萩山駅の配線変更、多摩湖駅方に0.3km移設および新宿線から多摩湖までの直通運転を開始
- 1961年(昭和36年)9月20日 多摩湖駅移転(+0.4km)
- 1961年(昭和36年)9月21日 国分寺駅~萩山駅間が1500Vに昇圧(全線昇圧完了)
- 1962年(昭和37年)9月1日 小平駅~萩山駅間を上水線(現・拝島線)に編入
- 1963年(昭和38年)4月5日 回田信号所開設。
- 1966年(昭和41年)7月1日 一橋大学駅を小平学園駅と併合し一橋学園駅に改称。本町信号所開設
- 1979年(昭和54年)3月25日 多摩湖駅を西武遊園地駅に改称
- 1985年(昭和60年) ダイヤ改正で野球・イベント開催時のみ、国分寺~西武遊園地間に準急を新設
- 1990年(平成2年)6月24日 国分寺駅改良により営業キロ短縮(-0.1km)。国分寺駅~萩山駅間車両大型(20m車)化
- 1996年(平成8年)3月28日 ダイヤ改正で野球・イベント開催時の準急廃止。再び、全区間普通(各駅停車)に統一
[編集] キロポストについて
多摩湖線のキロポストは、国分寺駅→萩山駅で一区切りになり、萩山駅→西武遊園地駅については、拝島線小平駅からの通算となる。このため、拝島線も萩山駅で一旦途切れることになる(萩山駅~小川駅間は小川駅から萩山駅に向かってキロポストが打たれる)。なお、国分寺駅には0kmポストがなく、0.1kmから始まっているが、これは同駅の改良により駅の位置が変更されたためである。
[編集] 運転
全区間を通しで運転する列車もあるが、運転系統は、主として萩山駅を境に西武遊園地方面と国分寺方面に二分されている。
[編集] 萩山~西武遊園地間
西武遊園地方面は、主に新宿線小平駅から普通列車が直通運転され、新宿線列車との接続が図られる。また、平日の朝には西武新宿駅行の急行が、土曜・休日には西武園ゆうえんちアクセスのための直通急行が運転され、拝島線の支線的性格が強い。平日の朝の急行に関しては前4両が西武遊園地駅発着になり、萩山駅で拝島発着(後6両)の電車と増解結を行う。西武新宿行きに関しては1号車は女性専用車両となる。朝ラッシュ時以外の時間帯は小平~西武遊園地間の普通電車は原則として2000系の4両編成での運転となる。国分寺方面からの直通は101系(ワンマン仕様)が使われる。
萩山駅での増解結は現在では朝ラッシュ時のみとなっているが、かつては終日(ラッシュ時は急行、それ以外の時間帯は各駅停車)行われていた。701・801系が限定運用されていたが、1990年以降は増備の進んだ2000系に変わっている。
近年、玉川上水駅周辺の開発が進んでいるために玉川上水駅行きの電車が増えていて、西武新宿線下り電車から小平駅始発の西武遊園地駅行きへの接続が悪くなってきている(待ち時間が多い)。
[編集] 萩山~国分寺間
一方、国分寺方面は基本的に国分寺駅~萩山駅間で折り返し運転が行われており、平日は朝に国分寺駅~一橋学園駅間の区間列車が、夕方に西武遊園地方面への直通列車がそれぞれ加えて運転される(夕方の国分寺駅~西武遊園地間の列車は萩山駅で西武新宿~拝島間の急行との相互接続が考慮されている)。土曜・休日は、ダイヤ上では全列車が国分寺駅~萩山駅間の折り返し運転であるが、西武ドームでプロ野球公式戦やイベントが行われる際には観客輸送のための直通運転が行われる。使用車両は、1996年に701・801系が撤退し、101系に統一された。1998年11月から多摩川線に次いでワンマン運転が実施されている。
なお、西武遊園地発着列車の場合、萩山~西武遊園地間ではツーマン運転になるが、運転システム自体はワンマンで、車掌はただ乗務しているのみである。これは国土交通省からワンマン化の許可が出ていないための処置と見られ、区別のために新101系(更新前)の種別標示幕が「普通」でも「ワンマン」でもなく「 」(無地)を出していた。このため、八坂駅~西武遊園地駅間は小平方面から来た電車の場合は駅に着くとすぐにドアが開くが、国分寺方面からの場合は電車が停止してからドアが開くまで少し間が空く。
[編集] 行楽期の臨時列車
列車種別は現在「普通」のみであるが、1996年のダイヤ改正までは野球もしくはイベント開催時に限り「準急」が設定されていた。停車駅は国分寺駅~萩山駅間の各駅と西武遊園地駅であった。本来ならば「急行」または「快速急行」とすべきであるが、既に急行と快速が萩山駅~西武遊園地駅間各駅停車として設定されており、快速急行は国分寺駅~萩山駅での急行運転用に予約していたせいで、苦肉の策として同区間で設定のなかった準急を割り当てた。
また、1998年のダイヤ改正までは不定期で萩山駅~西武遊園地駅に「快速急行」が設定されていた。停車駅は萩山駅と西武遊園地駅であった。主に西武ライオンズ球場(当時)で野球もしくはイベントが開催される時の西武新宿駅からの直通列車であったが、臨時として小平駅~西武遊園地駅の運転もされていた。
[編集] 多摩湖線内の車両
萩山~国分寺間は、1990年までは311系や351系といった17m車3両編成が中心に使われており、西武鉄道では最後まで旧型車両が使用されていた線区であった。大きな理由として、当時の多摩湖線国分寺駅のホーム有効長が60mぐらいしかなく、20m車4両編成の入線が困難だったためである。同駅への20m車4両編成の入線対応としては、ホームを現在位置に移動させることで延伸を果たした。なお、旧ホーム先端に接していた本町四丁目商店街の道路は、掘り下げて駅(連絡通路)の下を潜るようにされた。
17m車以外の主な入線車両は以下の通り。
- 401系(初代)(~1973年)
- 401系(2代)(~1996年)
- 701系(~1996年)
- 801系(~1996年)
- 501系(3代)→351系(~1990年)
- 旧101系・新101系
- 新2000系(萩山~国分寺:1996年・2005年(運用の都合でのみ)、小平~西武遊園地:1988年~)
[編集] 駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 国分寺 からの 累計キロ |
西武新宿 からの 累計キロ |
各駅停車 | 急行 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
国分寺駅 | - | 0.0 | - | ● | 西武鉄道:国分寺線 東日本旅客鉄道:中央線(快速) |
東京都 | 国分寺市 | |
本町信号所 | 1.2 | 1.2 | - | | | 小平市 | |||
一橋学園駅 | 1.2 | 2.4 | - | ● | ||||
青梅街道駅 | 1.0 | 3.4 | - | ● | 東日本旅客鉄道:武蔵野線(新小平駅…※ただし連絡運輸なし) | |||
萩山駅 | 1.2 | 4.6 | 23.7 | ● | ● | 西武鉄道:拝島線(急行のみ直通運転) (急行は拝島線経由新宿線西武新宿駅まで直通運転) |
東村山市 | |
八坂駅 | 1.0 | 5.6 | 24.7 | ● | ● | |||
回田信号所 | 1.4 | 7.0 | 26.1 | | | | | |||
武蔵大和駅 | 1.1 | 8.1 | 27.2 | ● | ● | |||
西武遊園地駅 | 1.1 | 9.2 | 28.3 | ● | ● | 西武鉄道:山口線 |
[編集] かつて存在していた駅
歴史章で述べた通り、開業時と比べて改変が著しい路線であるが、特に萩山駅以南は廃駅が多い。一番駅数が多くなったのは1939年1月から1953年1月15日の間で、当時4.4kmだった南側の区間に8つもの駅がひしめき合っていた。当時の駅は以下の通り。かっこ内は駅間距離/国分寺駅起点の営業距離。
- 国分寺駅 (0.0/0.0) : 現存
- 東国分寺駅 (0.9/0.9) : 三小通りの南
- 桜堤駅 (1.0/1.9) : 玉川上水桜橋の南
- 一橋大学駅 (0.4/2.3) : 一橋学園駅南口から数十メートル南
- 小平学園駅 (0.4/2.7) : 一橋学園駅北口前すぐ
- 厚生村駅 (0.2/2.9) : 場所の詳細不明、小平福祉会館付近?
- 青梅街道駅 (0.6/3.5) : 現存
- 萩山駅 (0.9/4.4) : 現存
1953年から翌年にかけて東国分寺・桜堤・厚生村の各駅が休止のまま廃駅となったことで一気に5駅まで減り、さらに1966年の一橋大学駅・小平学園駅統合による一橋学園駅設置と本町信号所設置で現在のように4駅と1信号所という形になった。このためこの区間で開業当時からの駅は国分寺駅・青梅街道駅・萩山駅のみということになるが、国分寺駅と萩山駅は移転しているため、厳密に開業当時のままなのは青梅街道駅のみである。
[編集] その他
- 国分寺駅から500m程は市道と西武バス専用道路に挟まれた格好になっており、線路とはガードレールで区切られているものの併用軌道のような雰囲気となっている。これは多摩湖線複線化用地として確保されていたものを専用道路に転用したためである。その先も並行して道路が延び、複線化用地も所々で散見されるが、具体的に行う様子はない。
- 国分寺-萩山間の踏切には列車方向を示す器具(→←)がない。これは基本的に列車交換が一橋学園駅(朝夕ラッシュ時は本町信号所)のみで行われるため、一方から電車が来たら次は反対側から来ると認識できるためである。
- 1928年11月2日に開業した萩山-本小平間(0.99km)は、当時日本で最も始点と終点間の距離が短い路線だった。終点・本小平駅は小平駅の西側の道路をはさんだあたりにあった。
[編集] 関連項目
西武鉄道の鉄道路線 |
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池袋線 - 西武有楽町線 - 豊島線 - 狭山線 - 西武秩父線 新宿線 - 拝島線 - 国分寺線 - 西武園線 - 多摩湖線 - 多摩川線 - 安比奈線 - 山口線 |