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株式会社藤子・F・不二雄プロ(ふじこエフふじおプロ)は漫画家の藤子・F・不二雄が立ち上げた漫画制作会社。代表取締役会長は藤本正子。代表取締役社長は伊藤善章(元小学館プロダクション取締役)。通称「藤子プロ」。
[編集] 概要
- 元々藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aが「藤子不二雄」時代に設立した「藤子スタジオ」に由来する。1987年のコンビ解消に伴い藤子スタジオは藤子不二雄A作品の漫画制作と版権管理を引き継ぎ、藤子・F・不二雄作品については新たに設立した「有限会社藤子・エフ・不二雄プロ」が同様の業務を行うことになった。当時の代表取締役は藤子・F・不二雄(藤本弘)本人。藤子F没後株式会社化され、会長に藤本夫人、社長に伊藤が就任して、現在に至る。所在地は東京都新宿区。
- 藤子Fの生前は藤子・F・不二雄作品の版権管理と漫画制作が主たる業務だった。
- 藤子F没後は藤子Fの意思を継ぐ形で『のび太の南海大冒険』から『のび太のワンニャン時空伝』までの大長編ドラえもんの原作の執筆、『ドラえもん』を中心としたキャラクターグッズの製作管理を行うようになる。2004年に漫画制作を取りやめ、所属していた漫画家を全て独立させ、版権管理を主な業務とするようになった。独立した漫画家はむぎわらしんたろうや岡田康則。
- また神奈川県の生田緑地内に設置することが発表された「藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)」(藤子F作品を展示する記念館。)の建物の建設及びミュージアムの運営を委託することが予定されている。
[編集] 藤子スタジオとの関係
- 現在、同社と藤子不二雄Aの「株式会社藤子スタジオ」(代表取締役会長は藤子A)には資本、業務共に基本的に繋がりが無く、完全に別会社として運営されている。そのため、「藤子・F・不二雄」と「藤子不二雄A」は個別の作家として著作権等が存在することになり、「藤子不二雄」名義に関する著作権表記は両社名を併記する形を取っている。
- また両社には『オバケのQ太郎』が再版されない事などから不仲説や藤子Fの遺族の意向によるものと囁かれているが、詳細は不明である(なお『オバケのQ太郎』再版問題については『オバケのQ太郎』の該当項目を参照のこと)。
[編集] 評価
- 藤子F没後も「大長編ドラえもん」の漫画制作(2004年にて撤退)や各種出版物の刊行を行い、『ドラえもん』という作品を後世に遺すべく活動していることは高く評価されている。
- 「ドラえもん」のキャラクターグッズ製作管理やウェブサイト運営などで常にファンに『ドラえもん』を親しい存在に近づける努力を続けている。
- パチンコ、パチスロなどのギャンブルや、その他子供にふさわしくないもので「ドラえもん」のイメージを崩しかねない商品にはキャラクター使用許可を下ろさないなど、「子供の為の」キャラクター維持に務めている。
- 一方で小学館と資本関係があることから(現社長の伊藤は小学館プロダクションの出身である)、他社からの出版要請をことごとく退けていること[1]への批判もある。
- 『ドラえもん』以外の作品がほとんど蔑ろにされているという批判的な意見もあるが、最近では小学館の『ぴっかぴかコミックス』などで他作品も刊行されつつある。
- 藤子Fの生前、『ドラえもん』などのキャラクターグッズは控えめに出されている程度であったが、没後に玩具・ゲームソフト・文房具などのグッズが数多く普及し出したことから、粗製濫造、著作権濫用との批判もある。
- 同社会長の藤本正子は藤子Fの夫人であり、美空ひばりや手塚治虫、石ノ森章太郎などの前例から遺族が権利会社運営に携わることを疑問視する向きもある。
[編集] 出身者
- 同社は藤子作品制作において、作画を補助する多数のアシスタントを雇用した。その中には後に独立して一家を構えたものも多い。
- 藤子不二雄時代に藤本を支えたスタッフは「藤子スタジオ#出身者」を参照。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
- ^ 株式会社ブッキングが『藤子不二雄ランド』再版を決定した際、藤子F作品の出版許可を要請したが受け入れられず、『藤子不二雄Aランド』として刊行された経緯がある。