蓑輪雅夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蓑輪 雅夫(みのわ まさお、1943年2月16日-)は、主に特撮テレビドラマ作品の映画監督・演出家。鹿児島県出身。日本大学藝術学部卒業。埼玉県新座市在住。
目次 |
[編集] 経歴
1966年に卒業し、一貫してフリー助監督として務め30歳のときに1973年に『流星人間ゾーン』で監督デビューを果たす。しかしその後監督として登板する機会がなく、東映に移り『刑事くん』、『Gメン』、『特捜最前線』などの一般ドラマや『スパイダーマン』、『科学戦隊ダイナマン』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める生活が長く続く。
1987年チーフ助監督を務めていた『大都会25時』で監督に再度昇進。その後、同年より始まった『仮面ライダーBLACK』で助監督&監督。このときに初めて監督ローテーションに定着したが、蓑輪はこのとき45歳であったためかなりの遅咲きといえる。翌年のRXではメイン監督を担当するが、これは旧知の堀長文プロデューサーの意向があったとされる。その後スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどで監督として頭角を現すことになるが、1996年を最後に東映作品を演出する機会はなくなった。これに関して、東映側がスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。
[編集] エピソード
- 『鳥人戦隊ジェットマン』の49話のロケ現場の海岸で転倒し骨折、蓑輪は急遽入院することになった。そのため、まだ撮りきれていなかった後半部のカットを病院のベッドで書き上げ、当時まだ26歳だったチーフ助監督の渡辺勝也に任せて凌いだことがある。これにより渡辺は監督として非公式デビューできることになり、翌年の正式デビューに繋がることとなった。言葉はおかしいが、蓑輪の骨折が渡辺に幸運をもたらしたという言い方もあながち間違いではない。
- 演出指導としては役者に対しては厳しく当たる熱血スタイルで、萩野崇がかつて語ったところによると鉄拳制裁もあったようである。
- 参加した東映キャラクター作品では最終回を担当することが多かった(10シリーズ中実に5シリーズ)。
[編集] 作品(監督)
[編集] テレビドラマ
★ 最終回を担当
- 流星人間ゾーン(1973年、東宝・日本テレビ)※助監督兼任&監督デビュー 2本担当
- 大都会25時(1987年、東映・テレビ朝日)※助監督兼任 1本担当
- 仮面ライダーBLACK(1987-1988年、東映・毎日放送)※助監督兼任 8本担当★
- 仮面ライダーBLACK RX(1988-1989年、東映・毎日放送)※最多演出 17本担当★
- 高速戦隊ターボレンジャー(1989-1990年、東映・テレビ朝日)7本担当★
- 地球戦隊ファイブマン(1990-1991年、東映・テレビ朝日)12本担当
- 特救指令ソルブレイン(1991-1992年、東映・テレビ朝日)※唯一のパイロット登板 2本担当
- 鳥人戦隊ジェットマン(1991-1992年、東映・テレビ朝日)14本担当
- 特捜エクシードラフト(1992-1993年、東映・テレビ朝日)15本担当★
- 特捜ロボジャンパーソン(1993-1994年、東映・テレビ朝日)※最多演出 16本担当
- ブルースワット(1994-1995年、東映・テレビ朝日)14本担当★
- 超光戦士シャンゼリオン(1996年、東映・テレビ東京)8本担当