航研機
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航研機(こうけんき)は、東京帝国大学(現東京大学)航空研究所が設計し、1938年に長距離飛行記録を作った試験機である。
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[編集] 概要
航空研究所は1918年に設立された航空技術の基礎研究を行う研究所であったが。1932年ころ、一部の研究者がディーゼルエンジンを開発して、2年で長距離飛行世界記録を獲得する計画をたてて文部省に承認された。研究中のディーゼルエンジンはほとんど研究段階であり、実用レベルに程遠いものであった。
長距離世界記録への挑戦という部分に絞って、既存のガソリンエンジンを改造して採用するなど比較的堅実な技術を採用して、1934年から具体的に設計を始め、1937年初飛行、1938年5月に目的の世界記録飛行を実施した。
飛行には、陸軍の協力を得て、パイロットは藤田雄蔵少佐、高橋福次郎兵曹長、航空機関士関根技士であった。機体の組立ては、飛行機製作に進出しようとしていた 東京瓦斯電気工業が行った。エンジンはBMW水冷エンジンを改造し希薄燃焼により、燃費を改善したものである。記録飛行は立川飛行場を離陸し、平塚→木更津→銚子→太田を周回飛行するものであった。それまでの周回長距離飛行の記録が1932年のフランス、デュペルドサン機の10601kmであったのを、11651kmの記録を立てた。(翌年イタリアのサボイア機によって、記録は破られる。)
第二次世界大戦が終わるまで羽田で保存されていたが、駐留してきたアメリカ軍により軍用機と見なされ、海中に破棄された。
なお、元々本機には名前という物はなく、新聞等で書かれた「航空研究所長距離機」の略称が広まり、それが正式名称のように使われている。そのため、英語名も「Koken Long-range Research-plane」となっている。
航研機のレプリカは青森県立三沢航空科学館に展示されている。荷重試験を行なった施設や設備は、20世紀末までは東京都目黒区の東京大学先端技術研究センター(旧東大航空研究所)に残されていた。目と鼻の先にある2階建ての白い建物の食堂はYS-11を設計していた輸送機研究会の元事務所であり、塀の外からも見ることが出来る。
[編集] 備考
[編集] 参考
- 富塚清「航研機」(三樹書房) ISBN 4895224740
[編集] 外部リンク
- 山本峰雄サイバー・ミュージアム
- 同上航続距離世界記録達成時の実写フィルム
- 航続距離世界記録達成時の実写フィルム (PART I) - YouTube
- 航続距離世界記録達成時の実写フィルム (PART II) - YouTube
- 航続距離世界記録達成時の実写フィルム (PART III) - YouTube