脳脊髄液
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脳脊髄液(のうせきずいえき、cerebrospinal fluid、CSF)とは、脳室系とクモ膜下腔を満たす、リンパ液のように無色透明な液体である。弱アルカリ性であり、細胞成分はほとんど含まれない。略して髄液とも呼ばれる。脳室系の脈絡叢から産生される廃液であって、脳の水分含有量を緩衝したり、形を保つ役に立っている。一般には脳漿(のうしょう)として知られる。
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[編集] 脳脊髄液の循環
[編集] 古典的な説
脳脊髄液を産生する脈絡叢は、側脳室、第三脳室、第四脳室のいずれにも分布する。脳室系は第四脳室のルシュカ孔・マジャンディ孔以外に出口がないので、脳室系の中で産生された脳脊髄液はその唯一の出口に向かって流れる。すなわち、側脳室からはモンロー孔を通って第三脳室に流れ、第三脳室からは中脳水道を通って第四脳室に流れ、第四脳室からはルシュカ孔・マジャンディ孔を通ってクモ膜下腔に流れる。ごく少量が中心管を通って脊髄を下る。頭蓋内では、クモ膜にクモ膜顆粒と呼ばれる突出があり、硬膜を貫いて隣接する硬膜静脈洞に入っている。クモ膜下腔の脳脊髄液はクモ膜顆粒から静脈に流れ込む。クモ膜下腔の中で大孔(大後頭孔)を抜けて脊柱管に入った脳脊髄液は、脊髄を取り巻く静脈叢から静脈に入るか、脊髄神経の神経鞘の中を流れて最後にはリンパ液と混ざる。
[編集] 新しい知見
クモ膜顆粒から吸収されるだけでは脳脊髄液の動態を説明しきれないことが指摘されてきたが、脳脊髄液は脳に分布する毛細血管からも吸収されるとする報告[1]が1996年になされた。また、リンパ管からの吸収が関与しているとする説[2]もある。リンパ管は脳には分布しないが、篩板から嗅神経とともに出て、鼻腔粘膜下のリンパ管に回収される経路や、同様に三叉神経などのほかの脳神経を介する経路もありえるとされる。
[編集] 脳脊髄液の異常
脳脊髄液の異常として臨床で最初に見つかるのは、頭蓋内圧の上昇である。決まった体積しか入らない頭蓋内に、ないはずのものが新たに加わると、脳脊髄液に高い圧力がかかり、同時に脳の実質も圧迫されて、頭痛、嘔吐、痙攣、徐脈、精神症状、視神経乳頭の浮腫・鬱血、外転神経麻痺などの所見を呈する。頭蓋内の脳脊髄液にかかった圧力(脳実質にも同じ圧力がかかる)を頭蓋内圧または脳圧と言い、脳圧が上がることを脳圧亢進などと言う。正常の脳圧は60~150 mmH2O程度(1 mmH2Oはおおむね1 kg/m2程度)だが、200 mmH2O程度、あるいはそれ以上に上がることがある。
脳圧亢進の原因として、脳脊髄液が頭蓋内にたまることを挙げられる。そのうちもっとも代表的なものが水頭症である。これは脳室にたまった脳脊髄液が脳の実質を周りに向かって圧迫する疾患であり、頭蓋骨が癒合しきっていない乳幼児に発症すると頭が非常に大きくなることがある。モンロー孔など、脳室系の狭くなっている部分は何らかの原因で閉塞しやすく、中でも中脳水道は狭い上に細長く伸びているので、閉塞することが多い。閉塞以外にも、頭蓋内の炎症すなわち脳炎や髄膜炎によって脳脊髄液が異常に多く産生されること、あるいはクモ膜顆粒からの吸収が妨げられることでも脳脊髄液はたまり、脳圧を上げる。
頭蓋内の出血によって脳圧が上がることもある。これは血液の体積によるほかに、血栓ができたり、脳脊髄液の産生が増えることにもよる。原因となる疾患は頭部外傷、クモ膜下出血、脳出血、脳動脈瘤破裂、脳動静脈奇形、血管炎などがある。
脳の実質が増殖すること、すなわち脳腫瘍でも脳圧は上がる。そのほか、脳梗塞、肝性脳症など様々な原因で脳圧は上がりうる。
脳圧が高いことは以上のような疾患を示唆するが、逆に脳圧が低いと頭痛を起こす。これは脱水、髄液漏といった病的な原因のほか、後述の腰椎穿刺によって脳脊髄液を採りすぎたときに起こることがある。
[編集] 脳脊髄液を使った検査
脳脊髄液は血液と同様、組織を満たして循環するので、通ってきた組織、すなわち脳と脊髄の様子を反映する。このため脳脊髄液を取り出して検査することには診断価値がある。特に髄膜炎を疑ったとき、脳脊髄液を培養して起炎菌の有無を調べることは確定診断に欠かせない。CTやMRIなどの画像診断が発達してから、脳出血や脳腫瘍について脳脊髄液を検査する意義は薄れたが、培養は依然としてきわめて重要である。
[編集] 採取
脳脊髄液を取り出すには腰椎穿刺という方法を使う。腰椎穿刺とは、腰椎の高さで脊柱管に注射針を刺し、そこから10 mℓほどの脳脊髄液を取り出すというものである。史上初めての腰椎穿刺は、1891年にハインリッヒ・イレネウス・クインケが結核性髄膜炎の患者に対して、頭蓋内圧を下げるために行ったとされる(この行為は非常に危険なので現在では行われない。理由は後述)。
腰椎穿刺は慎重に行われなければかなり危険である。まず、刺す位置が高すぎると脊髄を傷つける恐れがあるので、ヤコビ線(左右の腸骨稜の最高点を結んだ線)よりも下を刺さねばならない。脊髄の本幹はもっと上で終わり、より下には馬尾と呼ばれる脊髄神経根の束しかないので、その位置なら脊髄を傷つけないですむ。腰椎穿刺の危険はそれだけではなく、脳腫瘍や脳出血で脳圧が上がっているとみられるときは禁忌である。なぜなら、脳脊髄液が穿刺部から激しく流れ出し、頭蓋内から脊柱管への流れが急に強くなり、その勢いで小脳が脊柱管に引き込まれて大孔に詰まり、延髄を圧迫(脳ヘルニア)して最悪の場合は死に至る恐れがあるからである。したがって上に挙げたような脳圧亢進の所見があるときは腰椎穿刺をしてはいけない。また、視神経乳頭を観察する眼底検査や頭部CT検査を先に行っておかねばならない。
イヌでは主に後頭下穿刺が用いられる。
[編集] 髄液圧
腰椎穿刺をして最初にわかるのは脳脊髄液の圧である。これは穿刺するときの針にあらかじめつないでおいた脳圧モニターが測定する。患者の姿勢によって穿刺部の圧は変わる。患者が上体を起こして座った姿勢だと、頭蓋内と脊柱管に入った脳脊髄液の重みが穿刺部にかかり、測定される圧は高くなる。普通は患者を横向きに寝かせ、腸骨稜と腰椎の棘突起が見分けやすいように背中を軽く曲げさせた状態で穿刺する。圧が上がっていれば上に述べたような疾患を疑う。液が勢いよく流れ出るなど、圧が高そうなときは脳ヘルニアの恐れがあるので、モニターの表示を待たず素早く液を止めて針を抜く。圧が低ければ脱水や髄液漏を疑う。検査中に患者が咳などをして姿勢が変わると、圧が変わることがある。
- クエッケンシュテット試験 (Queckenstedt test)
- 圧に関する検査としてクエッケンシュテット試験がある。これは頭蓋内の静脈とクモ膜下腔、それに脊柱管内のクモ膜下腔が正常に交通しているかどうかをみる試験である。脳脊髄液の圧をモニターしながら両側の頚静脈を静脈圧よりも強く圧迫すると、正常なら10秒以内に圧が100 mmH2O以上上がる。そして圧迫をやめたときにはすぐ元に戻る。この現象は、頚静脈の圧迫によって頭蓋内の静脈が怒張するので、頭蓋内圧が上がるのにしたがって腰椎部での脳脊髄液圧も上がるというものである。頭蓋内の静脈や脊柱管の途中に閉塞があると、こうした一連の流れが妨げられるので、圧迫しても圧があまり上がらなかったり、圧迫をやめてもなかなか戻らなかったりする。この異常をクエッケンシュテット現象陽性と呼ぶ。特に静脈の閉塞があるとき、異常がある側の頚静脈を圧迫しても脳脊髄液圧は上がらない(圧迫よりも頭蓋寄りの静脈に変化が起きないため)が、正常な側の頚静脈を圧迫すると圧が上がる。これをTobey-Ayer徴候と呼ぶ。クエッケンシュテット試験は脳圧を意図的に上げる試験なので、脳脊髄液圧がはじめから高いときは脳圧亢進症状を増悪させる危険が大きく、してはいけない。
[編集] 肉眼的性状
脳脊髄液の肉眼観察からも多くのことがわかる。脳出血やクモ膜下出血では血液が混ざる。黄色調(キサントクロミア;脳脊髄液が黄色っぽいこと)は高度のタンパク質増加を示す。髄膜炎により多数の白血球が混入していれば濁って見える。結核性髄膜炎ではフィブリンが析出することがある。
[編集] 細胞
血液検査での血算に相当する顕微鏡検査では、細胞の混入を見る。正常な状態では、脳脊髄液に血液が流れ込むことはないので、細胞数は1µℓあたり5個以下と、血液に比べて明らかに少ない(血液は1 µℓあたり500万個の赤血球を含む)。これより多くの細胞が脳脊髄液に含まれていた場合、細胞の種類に応じて炎症、出血、腫瘍などが疑われる。
[編集] 生化学
生化学的検査では蛋白質、グルコース、塩化物イオン(クロール)などがみられる。総蛋白質は正常で15~45 mg/dℓであり、その4.5%がプレアルブミン、52%がアルブミン、それ以外がグロブリンでγグロブリン分画は11%である。蛋白質増加は炎症や外傷などを疑う。ブドウ糖は血糖の1/2~2/3程度が正常で、少ないと髄膜炎を疑う。クロールは120~130 mEqが正常で、タンパク質が増えるとクロールが減る(ポジティブコントロールとしての意義がある)。結核性髄膜炎では、アデノシンデアミナーゼ(ADA)活性が上昇する。
[編集] 脳脊髄液減少症 - 鞭打ち症(頸椎捻挫)との関連
最近の研究で交通事故や転倒など鞭打ち状態になった時に引き起こされる、いわゆる鞭打ち症の原因の一つが、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)、つまり硬膜から髄液が漏れ出す事であると指摘され始めた。有効な治療法の一つとして自己の血液を硬膜の損傷箇所から注入して、その凝固で穴を塞ぐブラッドパッチ法が挙げられるが、現時点では、交通事故などによる鞭打ち状態と脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)発症の関連が詳しく解明されていないので健康保険は適用されない。また、事故の加害者側の加入している保険からもブラッドパッチに関わる治療の補償費用支払いを拒否される。
ただ、最近では鞭打ち症と脳脊髄液減少症の因果関係を認める動きが出てきているが、ほとんどの裁判において相当因果関係を否定されている。
<相当因果関係を認められた唯一の例> 2001年8月に神戸市で発生した乗用車と自転車の衝突事故では、自転車に乗っていた女性が頭部外傷・打撲を負った。その後の診察で女性は脳脊髄液減少症と診断された。神戸地方検察庁は当初、乗用車の運転手を不起訴処分としたが、女性から再捜査の要請を受け2006年5月には脳脊髄液減少症が交通事故によって引き起こされたと認定、運転手を略式起訴した。
[編集] 脚注
- ^ Greitz, D., Hannerz, J. "A proposed model of cerebrospinal fluid circulation: observations with radionuclide cisternography." AJNR. American Journal of Neuroradiology 17(3), 1996, pp. 431-438.
- ^ Koh, L., Zakharov, A., Johnston, M. "Integration of the subarachnoid space and lymphatics: is it time to embrace a new concept of cerebrospinal fluid absorption?" Cerebrospinal Fluid Research 2, 2005, p. 6.
[編集] 参考文献
- 田崎義昭・斎藤佳雄、坂井文彦改訂『ベッドサイドの神経の診かた』第16版、南山堂、2004年、ISBN 4-525-24716-9。