羞恥心
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羞恥心(しゅうちしん)は、自らを恥ずかしいと感じる心。
[編集] 概要
羞恥心とは、自我や自尊心の延長にある概念で、恥となる行動をしてしまった場合に感じるものである。これらでは、社会規範への適応といった行動を促すが、その一方で過度に感じる場合には、行動の萎縮などといった問題を生む。無さ過ぎても害があるし、有り過ぎても困るものである。
自分が社会的なルールや常識を知らないで、ルールに違反してしまったり、自分が望むだけの成果を上げられなかったりした場合に、自分が身の置き所がなくなり、自身の内にこみ上げてくる感情・情動のことと解され、これらは様々な面で、道徳や人道といった概念が引き合いに出され、自身の行動を適正化させていく。
幼い子供であれば、トイレに行くのが間に合わず、お漏らしをしてしまったり、空腹でお腹がなったり、スポーツの技量などで友達に力が及ばなかったり、集団の中での自己にいきなり焦点が当てられたりと言ったような場面で、この感情がでてくる。この感情は、集団の中の自己を意識するようになって初めて生まれてくるものである。
成人になると、性的な場面や社会的な業績、成果といったものにとりわけ関係するようになる。しかしながら慣れ、高齢化、認知症の進行等に関係して薄れてくることもある。例えば明らかにルールに違反している裏金を、常態化することで恥ずかしいとも思わずに処理したり、または羞恥プレイのような特殊な性癖に転化して、明らかに社会のルールに違反する行為などは、羞恥心の希薄化を発生させる。
[編集] その源泉と発展形
この心理は、その根底に個人が集団に所属したいとする欲求(所属欲求)があると見ることができる。
これは社会的動物である人間の本能であるとも考えられるが、これがごくささやかな集団(コミュニティ)において発揮される場合に、外部には理解しがたい羞恥心が芽生えることも、まま見られるところである。
例えば、女子中高学生は同一集団内で共通化されたファッショセンスを発揮して、これに外れることを恥ずかしいと認識、流行に絶えず影響され個人の識別を困難とさせるほどの並列化を発揮するし、思春期の男子は異性や同性から寄せられる外見的評価を気にして否定される要素(例:貧弱、太め、ガニマタ、短足、チビ)の積極的な改善に走るし、小学生などでは垢抜けない制服の学校から私服可の学校に転校した際に、周囲のお洒落ぶりに戸惑い慌て自分の服装を恥ずかしいと感じたり……といった具合である。
上に挙げた例はあくまでも外見的なもので、異なる集団内では発生し得ない羞恥心の例ではあるが、その集団に属する当人らにしてみれば、それこそ生き死にに関わるほどの羞恥心を発生させることもある。他人にしてみれば「子供の他愛無い羞恥心」ともいえるが、彼らなりの価値観の中では大きなストレスを生む要素ともなるため、注意が必要といえよう。