箕島対星稜 (第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)
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箕島対星稜(第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)(みのしまたいせいりょう(だい61かいぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい3かいせん))は、1979年8月16日に阪神甲子園球場で行われた和歌山県代表・和歌山県立箕島高等学校対石川県代表・星稜高等学校の試合。延長18回の熱戦となった。
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[編集] 概要
箕島はセンバツ大会に優勝しており、史上3校目(公立高校で初)の春夏連覇がかかっていた。戦力も石井毅(住友金属~元西武ライオンズ)-嶋田宗彦(住友金属~阪神タイガース~阪神バッテリーコーチ)のバッテリーに箕島自慢の機動力を生かした打線が充実。星稜も、エース堅田外司昭(松下電器~現 野球部マネージャー、高校野球審判員)に音重鎮(元中日ドラゴンズ~広島東洋カープ~中日ドラゴンズ)らの打線が充実していた。
[編集] 試合
先攻星稜、後攻箕島で16時6分試合開始。
- 1回表、先頭の加藤がヒットで出て送るが後続が凡退で無得点。
- 裏、2アウトから上野山のツーベースが出るが無得点。
- 2回表、三者凡退。裏も三者凡退。
- 3回表、三者凡退。
- 裏、2アウトから嶋田がヒットで出て盗塁で2塁まで進むが無得点。
- 4回表、1アウト後北がヒットで出て、続く川井のヒットエンドランで1塁ランナー北が3塁へ。川井も盗塁で2塁へ。堅田のタイムリーで星稜が先制。その後後続は凡退。(箕 0-1 星)
- 裏、先頭の上野山がヒットで出塁。北野の送りバントが失敗するが、上野のヒットエンドランで1塁ランナー北野が3塁へ。森川のタイムリーで箕島が同点に追いつく。(箕 1-1 星)
- さらにショートゴロの間に上野、森川が進塁し、四球で満塁とするが逆転はならず。
- 5回表、三者凡退。
- 5回裏、1アウト後四球で出塁するも無得点
- 6回表、三者凡退。
- 裏、先頭から連続四死球でランナーをためるが、送りバント失敗、その後センターフライの間に2塁ランナー森川がタッチアップで3塁へ、1塁ランナー久保も盗塁で2塁に進むが無得点。
- 7回表、1アウト後音、山下の連打でつなぐが、2塁ランナー音が牽制で刺され、1塁ランナー山下は盗塁で2塁に進むが3塁への盗塁失敗で結局三者凡退。
- 裏、1番からの好打順も三者凡退。
- 8回表、三者凡退。裏も三者凡退。
- 9回表、2アウトから川井がヒットで出塁するが盗塁失敗。
- 裏、先頭がショートエラーで出塁するが盗塁失敗。続く浦野がヒットで出てピッチャーゴロの間に2塁に進むが無得点。
- 10回表、2アウトから山下がヒットで出塁するも無得点。
- 裏、先頭の宮本がヒットで出塁するも連続フライで2アウト、宮本の盗塁失敗で三者凡退。
- 11回表、1アウト後加藤のヒット、1アウト後北のヒットも無得点。
- 裏、三者凡退。
- 12回表、1アウト後音のヒットと四球でランナーをためると、続く石黒のセカンドゴロが2塁手上野山のトンネルで星稜が勝ち越し。(箕 1-2 星)
- 尚も1アウト1・3塁でスクイズを仕掛けるが失敗し3塁ランナー山下がタッチアウト、バッター若狭も三振で3アウト。
- 裏、簡単に2アウト。続く嶋田は打席に入る前、尾藤公監督に「ホームランを打っていいですか。」と言い、カウント1‐0からレフトラッキーゾーンへの同点ホームラン。箕島が土壇場で同点に追いつく。(箕 2-2 星)
- 13回表、2アウトから北、川井の連打でつなぐが、続く堅田の打球を2塁手上野山の好送球で無得点。
- 裏、三者凡退。
- 14回表、三者凡退。
- 裏、先頭の森川がヒットで出て送り、森川がディレードスチールで3塁へ。絶好のサヨナラのチャンスとなったが、3塁手若狭の隠し球で刺され無得点。
- 15回表、先頭の若狭がヒットで出塁するが、送りバント失敗とショートゴロ・ダブルプレーで無得点。
- 裏、先頭の石井がヒットで出塁し、1アウト後犠打で2塁に進めるが無得点。
- 16回表、1アウト後死球と堅田のヒットでランナーをため、その後ピッチャーゴロで1塁ランナー堅田がアウトとなるが、山下のタイムリーで星稜が勝ち越し。(箕 2-3 星)
- 裏、簡単に2アウト。続く森川が1塁へのファールフライを打ち上げ誰もが試合終了と思った瞬間、1塁手加藤がファウルグランドにこの年から設置された人工芝につまずき転倒。命拾いした森川はカウント2‐1から左中間スタンドへ起死回生の同点ホームランで再び同点。実況を担当していた朝日放送の植草貞夫はこの時、「甲子園球場に奇跡は生きています!」という名言を残した。(箕 3-3 星)
- 17回表、三者凡退。裏も三者凡退。
- 18回表、1アウト後川井、堅田の連打でつなぎ、その後も山下のヒットで満塁とするが無得点。この時点で星稜の勝ちはなくなり、負けるか引き分けるかのどちらかになった。(ちなみに引き分け再試合は翌日の第1試合に組み込まれる予定だった。)
- 裏、先頭の辻内が四球で出塁し、1アウト後北野も四球で出塁。続く上野のタイムリーで2塁ランナー辻内がヘッドスライディングでホームイン。4-3で箕島が延長18回サヨナラ勝ちを収めた。試合時間3時間50分、19時56分試合終了。
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | R |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
星稜 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 |
箕島 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1x | 4 |
- [審判](球)永野 (塁)小林・木嶋・達摩 (外)片岡・橋本
[編集] その後
- この試合を、高校野球史上最高の試合と考えるファンは多い。失点した回の裏(12回、16回)、ともに二死の絶体絶命状況から同点ホームランが二度も出たこと、再試合規定ぎりぎりの延長18回に劇的なサヨナラ勝ちで決着がついたこと、勝者である箕島高校がそのまま勝ち進み、決勝で徳島県代表・池田高校を破って、見事史上3校目(公立高校では初)の春夏連続優勝を達成したこと、などが要因。
- 両校は1994年、和歌山県営紀三井寺球場で「再試合」と銘打って交流戦を始めた。その後10年ごとにこの再試合が行われ、2004年には石川県立野球場で開催された。結果は18-11で星稜が勝ち、対戦成績を1勝1敗とした。なお当時のベンチ入り選手・監督のうち、箕島の控え投手だった江川博(背番号11。左眼が生まれつき見えなかった。箕島卒業後は東京経済大~明治生命で投手として活躍)が1986年に肝臓ガンで亡くなっているほか、2004年の試合では病気療養中の尾藤監督、そして現役プロ野球コーチである嶋田と音が欠席している。将来、再々々試合を甲子園球場で行おうという声が出ているという。尾藤監督と山下監督、そして共に戦った両校選手同志の交流は今なお続いている。むしろ、高校時代のチームメイトより、元相手チームの選手と会う機会の方が多い選手もいるという。
- 箕島の石井-嶋田のバッテリーは住友金属でも都市対抗野球優勝を経験し、嶋田は阪神タイガースでも日本一を経験。1985年の日本シリーズ第3戦(甲子園球場)、嶋田は箕島高校の先輩でもある西武ライオンズ・東尾修から代打でホームランを放ち、シリーズ史上初ルーキー初打席初本塁打(しかも初球である)を記録した。
- 箕島高校は宮崎国体でも優勝候補に上がっていたが、接近してきた台風のせいで競技が中止となり、春夏甲子園制覇と国体制覇の三冠達成が潰えた。
- 作詞家で作家の阿久悠はこの試合に感銘を受け、「最高試合」という詩をスポーツ紙に投稿した。同じく作家の山際淳司は、「八月のカクテル光線」という短篇(『スローカーブを、もう一球』に収録)を書き上げている。ほかにも、『一生分の夏 いつも胸に甲子園があった』(短編「黄金のスコアブック」を収録)、『神様が創った試合―山下・星稜VS尾藤・箕島延長18回の真実』など、この伝説の試合に関する書籍がある。
- 箕島高校は、この年の春夏連覇後に100人もの新入部員を迎えた。これに驚いた尾藤監督は、大阪・北陽高校野球部、松岡英孝監督に練習方法を尋ねた。翌1980年第62回夏の甲子園にも箕島は出場。前年は2番レフトで出場した宮本をエースで主将に据え、初戦に都立高校で初出場の西東京代表・国立高校に勝ったのを機にどんどん勝ち進み、小倉高校以来の夏2連覇が見えたかと思われたが、準々決勝で横浜高校に敗退。この年の横浜は愛甲猛がエースで、決勝でも荒木大輔がいた東東京代表・早稲田実業に勝ち、横浜高校は優勝を果たした。
- 2007年11月18日に、箕島高校創立100周年記念事業の一環として、現役部員同士による箕島-星稜戦が、マツゲン有田球場で行われ、19対6で星稜高校が勝利した。
[編集] テレビ中継について
- この試合は第4試合ということもあってNHKが試合開始から18時(JST、以下同じ)まで総合テレビ→18時から試合終了まで教育テレビ、というリレー中継を実施したが、教育テレビ放映時間における視聴率は白熱した試合だったことも手伝って29.4%(ビデオリサーチ関東)を記録、この数字はNHK教育テレビ歴代最高記録として四半世紀以上たった今も破られていない。
- 一方、並列中継した朝日放送[ABC]は18時台にニュース(『6時です たいむ6』→『ANNニュースレーダー』)を、19時台にネット番組(この日は木曜だったので『クイズタイムショック』→『三枝の国盗りゲーム』)を放送しなければならないため、たいむ6の時間枠を利用して延長をしたものの生中継を打ち切らざるを得なかったが、実況担当の植草貞夫は深夜の『高校野球ハイライト』(『熱闘甲子園』の前身)用に試合終了まで実況を続けた。なお箕島の地元・和歌山県のテレビ和歌山[WTV]でもABCの中継をネットしていたが、17時45分からの『生活メモ』および18時からの『ニュース』を放送するために生中継は打ち切られた。その後の番組(18時半より『超人・バロム1』の再放送、19時以降はテレビ東京の各番組)の中で中継を再開したかは不明(ただし上記の『高校野球ハイライト』を翌日早朝に時差放映)。星稜の地元・石川県では当時ANN加盟局が存在しなかったため(北陸朝日放送[HAB]は1991年開局)、ABCの中継がネットされたかどうかは不明である(当時の石川県での放送形態は決勝戦を北陸放送[MRO、JNN加盟]がネットしていたことのみ判明している)。
[編集] 関連試合
- 中京商対明石中延長25回
- 魚津対徳島商延長18回引き分け再試合
- 掛川西対八代東延長18回引き分け再試合
- 第51回全国高等学校野球選手権大会決勝
- 高松商業対仙台育英延長17回
- PL学園対横浜延長17回
- 花咲徳栄対東洋大姫路延長15回引き分け再試合
- 関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合
- 第88回全国高等学校野球選手権大会決勝
- 豊田大谷対宇部商業延長15回
- 北陽対新田延長17回
- 宇治山田商業対佐賀北延長15回引き分け再試合