山下智茂
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山下 智茂(やました ともしげ、1945年2月25日 - )は学校法人稲置学園理事、金沢星稜大学特任教授、星稜高等学校野球部総監督(元・同校社会科(公民)教諭)。2005年9月1日まで野球部監督を務めた。
[編集] 来歴
石川県の門前高校、駒澤大学を卒業後、星稜高校野球部の監督に就任した。「野球が教育というフィールドからはみ出てはいけない。」という理念のもと、他の都道府県からの野球留学に対して否定的な見方をしたり(ただし富山県などの隣県から通う部員はいる) 、学校の勉強が疎かな生徒に対して練習への参加を禁じたりするなど常に厳しさを持って野球と関わっていた。
その一方で、県内の遠隔地から通学する生徒に対して自宅を下宿として提供。控え選手やマネージャーに対しても例外を設けることはなく、愛情のある指導にも定評があった。
全国屈指の野球名門校となる同校の甲子園出場は、監督就任後の1972年に始まる。1979年の箕島戦や1992年の松井秀喜5打席連続敬遠事件など、高校野球史に残る名勝負を数多く経験。1995年には山本省吾を擁し決勝まで進出。北陸地方の高校として初めての優勝まであと一歩のところまで迫った。時間があれば練習したというノックも秀でた技術を持っており(“マシンガンノック”の異名も)、甲子園での試合前ノックは名物であった。
野球の技術的指導もさながら、生徒への人間教育も徹底していたことで知られ、現在でも石川県内はもとより全国の高校野球指導者が目標とする人物の一人である。指導者になって以降禁煙に努め、全国優勝を果たした際の一服を望んでいたが、最後まで果たすことができず、2005年9月をもって監督を引退。小松辰雄、村松有人、松井秀喜、山本省吾など多くのプロ野球選手を輩出した。2005年9月、岐阜県の大垣日大高校グランドにて阪口慶三監督と両校ナインの前で監督退任セレモニーが行われ、同校との練習試合が最後の采配となった。
その後も高校野球甲子園大会では、春センバツ・夏選手権と共に野球解説者として担当している。特に2006年夏の甲子園決勝の、南北海道代表・駒大苫小牧と西東京代表・早稲田実業との試合では、37年振りの引分け再試合となり、実に2日間に渡っての決勝(24イニング・5時間33分)をABCテレビの解説者として出演した。その山下の隣には、奇しくも27年前の夏に箕島対星稜戦で延長18回を戦った当時の監督、尾藤公(こちらはABCラジオに出演)が座っていた。
座右の銘は「花よりも花を咲かせる土になれ」である。
[編集] 甲子園での成績
- 春:出場11回・6勝11敗
- 夏:出場14回・16勝14敗・準優勝1回(1995年)
- 通算:出場25回・22勝25敗・準優勝1回