神道信者による宗教的迫害
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神道信者による宗教的迫害の項目では、神道の信者によって行われた他宗教、無神論、無宗教への迫害について記述する。
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[編集] 仏教伝来時の迫害
6世紀に朝鮮半島や中国から仏教が伝来した。少なからぬ人々がこの新たな信仰に興味を抱いたが、古来からの神々(古代神道)を奉ずる豪族たちは仏教の受け入れに反対、仏教徒を迫害した。しかし最終的に仏教は日本に受け入れられた。
仏教公伝も参照
[編集] キリシタンへの迫害
江戸時代のキリシタンに対する迫害は主として仏教徒によって担われたが、当時の神道は仏教の下位信仰として組み込まれている場合(神仏習合)が多く、神道信者も一体となってキリスト教を迫害した。
また明治初期に廃仏毀釈によって神道の仏教からの独立が達成され、国教となると、直ちに神道信者が主となるキリスト教徒の弾圧が始まった(浦上四番崩れなど)。これによって決定的になった神道とキリスト教間の激しい対立と相互憎悪は現在も続いている。(十五年戦争期のキリスト教弾圧の詳細については宗教的迫害#宗教的弾圧の事例を参照。)
[編集] 廃仏毀釈
長らく仏教の民間信仰、下位信仰として組み込まれていた神道だが、江戸時代には小中華思想、皇国思想の高揚により神道の仏教に対する優越性をとく学者が多く出た。
やがて明治維新により天皇(天照大神の子孫にしてその地上における代理人)を中心とした国家神道が日本の国教となり、各地で廃仏毀釈の名の下に仏像や寺院の破壊が行われた。
しかし最終的に廃仏毀釈運動は一過性のものに終わり、大日本帝国憲法では限定つきながら再び仏教の信仰の自由が認められた。
[編集] 大日本帝国下での迫害
大日本帝国憲法では建て前では信教の自由が認められていたが、公の秩序や臣民としての義務にそむかない限りという留保がついており、実際には国家神道における最高神天照大神の子孫、代理人である天皇が神聖不可侵の存在として日本国民の上に君臨していた。
そのため神道は『神道は宗教にあらず』という事実と異なる変則的論理を用いて、事実上国教としての地位を与えられた。神道への批判は天皇制国家への批判と同義であり、慎重に行わなければ問題となる性質のものであった。
第二次世界大戦中には、国内、植民地、占領地の非神道信者にも上記の論理を用いて神道への崇拝を更に強制した。これを拒否した場合、本人のみならず家族までも『非国民』『国賊』という扱いを受け、逮捕・投獄されたり、拷問や私刑を加えられたりした。
しかし第二次世界大戦の敗戦後、GHQによる日本占領政策の結果、神道の特権的な地位は失われた。
現在の日本国憲法では完全な信教の自由が保障されている。