社会民主党 (ポルトガル)
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社会民主党(葡:Partido Social Democrata)はポルトガルの政党。略称はPSD。
議会における勢力は230議席中75議席。2005年の総選挙で連立政権を組んだ人民党とともに敗北し多くの議席を失った。党首はルイス・フィリペ・メネゼス(2007年より)。
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[編集] 概要
はじめは社会民主主義政党として結成されたが、現在は中道右派政党となっており、ポルトガルではもう一方の大政党である社会党が社会民主主義政党として存在している。
1996年に自由主義インターナショナルを脱退し、以降は欧州議会において他の多くのヨーロッパの保守・キリスト教民主主義政党とともに欧州人民党(EPP)へ加盟した。また保守政党の国際団体である国際民主同盟に加盟している。以前は欧州自由民主改革党に加盟していた。党の機関紙は"ポーヴォ・リブレ Povo Libre"。
[編集] 歴史
社会民主党は1974年5月6日、フランシスコ・サー・カルネイロ、フランシスコ・ピント・バルセマン、ジョアキム・マガリャンイス・モータらにより、PPD(Partido Popular Democrático 人民民主党)として結成され、5月15日に最初の党本部をリスボンのラルゴ・ド・ラトに置いた。これに続いて6月24日には党委員会が組織され、フランシスコ・サー・カルネイロ、フランシスコ・ピント・バルセマン、ジョアキム・マガリャンイス・モータ、バルボサ・デ・メーロ、モータ・ピント、モンタルヴァン・マシャド、ミゲル・ヴェイガ、フェレイラ・ジュニオル、アントニオ・カルロス・リマ、アントニオ・サラザール・シルヴァ、ジョルジェ・コレイア・ダ・クーニャ、ジョルジェ・フィゲイレド・ディアス、ジョルジェ・サー・ボルジェスなどが名を連ねた。また機関紙ポーヴォ・リブレは。マヌエル・アレグリア、ルイ・マシェテにより1974年6月13日にはじめて発行された。社会民主党の最初の重要会議は10月25日、リスボンの"パヴィーリャン・ドス・デスポルトス(Pavilhão dos Desportos)"で開催され、翌月には最初の公式党大会も行われた。1975年1月17日には社会民主党を正当な政治団体と承認させるための署名を最高裁判所へ提出した。8日間で6300もの署名が集まったという。
[編集] 政権
カーネーション革命に乗って、社会民主党は1974年から1979年にかけて多くの連立政権に参加した。この間にポルトガルの政治は次第に安定していった。1979年、社会民主党は民主社会センター(現在の人民党)といくつかの小右派政党とともに民主主義同盟(AD)という選挙同盟を結成した。民主主義同盟は1979年の選挙に勝利して、社会民主党党首フランシスコ・サー・カルネイロが首相に就任した。民主主義同盟は1980年の選挙で過半数の議席を得たが、12月4日、航空機事故によってカルネイロが死ぬと、政治は混乱した。フランシスコ・ピント・バルセマンが首相の地位、社会民主党と民主主義同盟の指導権を受け継いだが、カルネイロほどのカリスマ性はなく、民衆の支持を得ることはできなかった。
1983年に民主主義同盟は解散した。そしてその年の選挙で社会民主党は社会党に敗北する。過半数は得られなかった社会党は社会民主党と大連立を組む。アニーバル・カヴァコ・シルヴァをはじめとする社会民主党内の右派政治家は社会党主導の政権への参加に反対した。そして1985年6月2日、シルヴァが社会民主党の党首に選ばれると連立は解消された。1985年の総選挙においてシルヴァ率いる社会党は過半数は得られなかったものの勝利を収め、シルヴァは首相に就任した。経済の自由化と減税政策で経済成長に成功し、1987年の選挙で社会民主党は圧勝する。社会民主党への投票は50.2%、250議席中148議席を得た。単一政党がこれほどの絶対的多数派となったのは初めてであった。1991年の選挙も同じように勝利を収めたが、高い失業率の改善がなされないことで次第に支持を失い、1995年と1999年の選挙では敗北を喫する。
再び2002年には勝利を収めたものの過半数は得られず、人民党と連立を組み、社会民主党党首ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾが首相となった。バローゾは任期中に辞職し、欧州委員会の議長に就任、ペドロ・サンタナ・ロペスが党首・首相職を受け継いだが、2005年2月20日の選挙では1983年以来の大敗北を喫する。不支持率は12%を越え、議席は75議席のみを維持、30議席を失った。ライバルの社会党は絶対的多数派となり、社会民主党は少なくとも2009年までは野党の地位に甘んずることになりそうである。
2006年の大統領選挙では勝利を収め、アニーバル・カヴァコ・シルヴァが新大統領となった。
[編集] 歴代党首
- フランシスコ・サー・カルネイロ(1974年–1978年、1978年–1980年)
- アントニオ・ソーサ・フランコ(1978年)
- ジョゼ・メネレス・ピメンテル(1978年)
- フランシスコ・ピント・バルセマン(1981年–1983年)
- ヌーノ・ロドリゲス・ドス・サントス(1983年–1984年)
- カルロス・モータ・ピント(1984年–1985年)
- アニーバル・カヴァコ・シルヴァ(1985年–1995年)
- フェルナンド・ノゲイラ(1995年–1996年)
- マルセロ・ロベロ・デ・ソーサ(1996年–1999年)
- ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ(1999年–2004年)
- ペドロ・サンタナ・ロペス(2004年–2005年)
- ルイス・マルケス・メンデス(2005年-2007年)
- ルイス・フィリペ・メネゼス(2007年—)