磯松大輔
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磯松大輔(いそまつ だいすけ、1973年12月17日 - )は山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)出身の陸上競技選手(長距離種目)。コニカミノルタ所属。身長162cm、体重53kg。血液型A型。
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[編集] 来歴
熊毛町立(現・周南市立)大河内小学校時代は1年生から剣道部に所属、4、5年生には町内の大会で優勝する程の剣の腕前だった。当時から小柄だったので本人曰く、面は取りづらいので籠手狙いとの事。
熊毛町立(現・周南市立)熊毛中学校時代は野球部に所属するが、1年生時の校内マラソン大会(5km)で優勝し、2年から陸上部に転部する。3年次に県大会の3000mで優勝。同年福島県で開催された全日本中学選手権に出場するも予選落ち。中学校の陸上部に籍を置く傍ら、地元のマラソンクラブにも所属していた。3年次夏のマラソンクラブでの大分県で開催されたクロスカントリーの大会に優勝し、大牟田高校の大見治夫監督の目に留まり、中学時代の監督の反対を押し切り、大牟田高校への進学を決意する。
大牟田高校、その後の法政大学でもキャプテンとして、エースとしてチームを支えた。その姿勢はコニカミノルタに入ってからも変わらず、練習態度の悪い先輩選手にも臆せず「先輩、だめですねぇ」とはっきり言ってのけたと言う。そのキャプテンシーで所属するチームでは重宝され、全日本実業団対抗駅伝大会では「1区は磯松に任せとけばいい」と監督にまで言わせるほど、スペシャリスト的な存在だった。やがて坪田智夫、松宮隆行、松宮祐行らの加入で遂に駅伝日本一を獲得するに至った。
2007年4月からプレーイングコーチとなり指導者となった。「個性的で、世界で戦えるマラソンランナーを鍛え上げたい。中国電力の坂口泰監督が目標です」と日本代表を輩出するライバルチームの指揮官の姿を追う[1]。2008年のびわ湖毎日マラソンを最後に現役を引退、コーチ専任となった。
[編集] 主な成績
太字は自己ベスト記録を出した大会
- 1989年
- 全国高校駅伝 4位(5区7位)
- 1990年
- 全国高校駅伝 2位(3区5位)
- 1991年
- 1993年
- 箱根駅伝 7位(1区10位)
- 1994年
- 箱根駅伝 10位(2区8位)
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- ニューイヤー駅伝 4位(1区5位 35分00秒)
- 全日本実業団ハーフマラソン 6位(1時間1分52秒)
- フランクフルトマラソン 14位(2時間17分57秒)
- 2001年
- 2002年
- ニューイヤー駅伝 優勝(1区9位 35分01秒)
- 青梅マラソン 2位(1時間31分19秒)
- ロッテルダムマラソン 13位(2時間13分42秒)
- フランクフルトマラソン 6位(2時間14分51秒)
- 2003年
- ニューイヤー駅伝 優勝(1区3位 34分46秒)
- 日本選手権 10000m 12位(28分51秒99)
- 札幌国際ハーフマラソン 11位(1時間3分41秒)
- 福岡国際マラソン 13位(2時間11分42秒)
- 2004年
- ニューイヤー駅伝 2位(6区15位 35分04秒)
- 函館ハーフマラソン 2位(1時間3分36秒)
- 2005年
- ニューイヤー駅伝 優勝(4区1位 29分37秒)
- パリマラソン 35位(2時間24分22秒)
- 2006年
- ニューイヤー駅伝 優勝(7区1位 45分06秒)
- 長野マラソン 11位(2時間18分49秒)
- 札幌国際ハーフマラソン 79位(1時間6分11秒)
- 函館ハーフマラソン 2位(1時間3分13秒)
- 2007年
- 2008年
- びわ湖毎日マラソン 24位(2時間17分34秒)
[編集] 自己記録
- 5000m:13分40秒44(2001年 ナイト・オブ・アスレチックス 《ベルギー》 )
- 10000m:28分7秒32(1996年 日本選手権)
- ハーフマラソン:1時間1分52秒(2000年 全日本実業団ハーフマラソン)
- 30km:1時間31分19秒(2002年 青梅マラソン)
- マラソン:2時間11分42秒(2003年 福岡国際マラソン)