石淵ダム
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石淵ダム(いしぶちダム)は岩手県奥州市、一級河川・北上川水系胆沢川に建設されたダムである。
国土交通省東北地方整備局が管理する多目的ダムで、北上川上流改定改修計画の一環として建設された「北上川五大ダム」の一つである。日本において最初に着手されたロックフィルダムで、コンクリートでダム上流部を舗装し水を遮るコンクリートフェイシングフィルダムという日本に四ダムしか存在していない型式。堤高は53.0m。胆沢川の治水と流域のかんがいが目的であるが、治水・利水機能を強化するため現在下流約2.0kmに胆沢ダムが建設されており、ダムが完成する6年後の2013年(平成25年)に水没する。
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[編集] 沿革
東北随一の大河・北上川は中流部の一関市より南で急激に川幅が狭くなる。「北上川癌狭窄部」と呼ばれるこの地形の為に一関市は古来より自然の遊水池状態となり、豪雨の際には北上川の氾濫によって湛水被害が繰り返された。こうした水害より北上川流域を守る為内務省は北上川の追波湾開鑿工事を実施し、1934年(昭和9年)に新北上川を開鑿した。更に1938年(昭和13年)「北上川上流改修計画」が計画されてその中で北上川本川・雫石川・猿ヶ石川・和賀川・胆沢川の岩手県内における水系主要河川に洪水調節用ダムを設けて出水に対処しようとした。これがTVAを参考にして計画された「北上川五大ダム」事業の発端であり、国直轄第1号ダムとして1941年(昭和16年)より着手されたのが田瀬ダム(猿ヶ石川)であるが、戦争の激化によって工事は中断した。
終戦後「北上川上流改修計画」は再開されたが、全国的に深刻な食糧需給状況を打破する為に早急な食糧増産態勢の整備が課題となった。農林省(現・農林水産省東北農政局)は北上川水系に山王海ダム(滝名川)や岩洞ダム(丹藤川)の建設を計画したが内務省もこの様な状況を考慮し、治水より利水を優先する事にしてかんがいに対する効果を高く発揮できる石淵ダムを最優先に建設する事とし、田瀬ダムの工事再開よりも先に建設に着手した。
1938年当時の計画では重力式コンクリートダムとして計画されていたが、戦後の混乱期でセメント生産量も激減していた事から他の型式が検討された。結果付近の山から良質な石塊が採掘され輸送費の削減にも寄与することから、日本では初めてとなるロックフィルダムとして施工される事が決定した。この事から「日本初のロックフィルダム」と言われる事が多いが、日本で最初に完成したロックフィルダムは岐阜県可児市にある小渕ダム(木曽川水系久々利川)である。石淵ダムは日本で初めて施工されたロックフィルダムで、戦後の物資不足に伴いコンクリートフェイシングフィルダムとした経緯がある
2008年6月14日、平成20年岩手・宮城内陸地震で堤体天端に変状が確認され[1]、同日14:30分から緊急放流が開始された。[2]
[編集] 目的
1947年(昭和22年)より工事に着手。補償交渉では13戸が水没する事になったが当時はインフレの激しい時期で、1950年(昭和25年)に交渉が妥結して補償金を支払うまでの数ヶ月で急激な物価上昇に遭遇、双方の苦労は並大抵ではなかったと言われる。1953年(昭和28年)に湛水を開始して事業は完成するが、この間小渕ダムが完成した為名実共に日本初のロックフィルダムになる事は出来なかった。
目的は胆沢川及び北上川中流部の洪水調節、胆沢川沿岸農地の既得水利権分の用水確保を行う不特定利水、及び1951年(昭和26年)の「電源開発促進法」によって誕生したばかりの電源開発株式会社が保有する胆沢第1発電所による発電(認可出力14,600kW)である。
放流中の石淵ダム |
[編集] 胆沢ダムへの継承
石淵ダム建設着手後、カスリーン台風・アイオン台風が北上川流域に連年壊滅的な被害を与えた。この為1949年(昭和24年)に経済安定本部によって「河川改訂改修計画」が全国10水系を対象に策定され、多目的ダムによる総合的な治水対策が講じられるようになった。これによって建設省(現・国土交通省東北地方整備局)は「北上川上流改修計画」を「北上川上流改訂改修計画」として計画変更し石淵ダムの洪水調節量も改訂された。更に1950年2月には国土総合開発法に基づき「北上特定地域総合開発計画」が実施され、北上川水系全域及び鳴瀬川水系における河川総合開発が計画される様になり、この中で「北上川5大ダム」は「北上川総合開発事業」(KVA)の根幹として強力に推進された。石淵ダム完成後田瀬ダム(1954年)、湯田ダム(和賀川・1964年)、四十四田ダム(北上川・1968年)、御所ダム(雫石川・1981年)が完成して「北上川五大ダム」事業は完結するに至った。
完成後直轄管理がされており、胆沢川流域の治水と利水に貢献しているがダム湖である「胆沢湖」は総貯水容量が5大ダムの中では小さく、且つ小規模な洪水が多発する事から洪水調節の為のゲート放流が頻繁に行われており、最盛期で年間200回~350回に及んでいた。後半期には年間70回程度まで落ち着いたが堆砂の進行もある為、確実な洪水調節を行う為にはダムの洪水調節容量を増大させる必要があった。又、コンクリートフェイシングフィルダムは欠点として遮水壁の代わりであるコンクリート遮水板が沈下する事が判明されて居て、その為に改修が度々必要となる為現在では建設されていない。石淵ダムでも遮水板沈下とその補修が行われており、根本的なダム改修が次第に要望される様になった。
こうした事から1966年(昭和41年)、石淵ダムを嵩上げし洪水調節容量を拡大し堤体も補修する「石淵ダム嵩上げ計画」が立案された。だがその後嵩上げよりは胆沢川下流に大規模なダムを建設して懸案を解決した方が良いとの考えが為され、結果更なる治水機能の改善の為に石淵ダムの約2.0km下流に胆沢ダムを建設する計画が1973年(昭和48年)に発表された。胆沢ダムは石淵ダム同じく国土交通省東北地方整備局が建設を進めている特定多目的ダムで、型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダムである。しかし、高さは132.0mと東北地方に建設されるロックフィルダムの中では最も大規模なもので、2013年(平成25年)に完成すると石淵ダムは胆沢ダム湖に水没する。水没後も石淵ダムは堆砂を貯留する貯砂ダムとしての役割を果たすが、日本のダムの歴史に1ページを記したダムは後9年で見る事が出来なくなる。
因みに、既設ダムが新設ダムに水没した例としては、青森県の沖浦ダム(岩木川水系浅瀬石川)があり、直下流に建設された浅瀬石川ダム(国土交通省東北地方整備局)の完成によって水没した。又岩木川本川の目屋ダムは津軽ダムに、最上川水系置賜野川の管野ダムは長井ダムに完成後は水没する。何れも東北地方整備局が建設を行っている特定多目的ダム事業であるが、全国的にダム建設地点が少なくなっている現在、既存のダムをリニューアルして治水や利水の機能を増強する「ダム再開発事業」は今後とも増加傾向にあると言われている。
[編集] 関連項目
- ダム
- 日本のダム
- コンクリートフェイシングフィルダム
- 多目的ダム
- 北上特定地域総合開発計画-田瀬ダム・湯田ダム・四十四田ダム・御所ダム
- 国土交通省直轄ダム
- ダム再開発事業
- 水力発電
- 電源開発
- 岩手・宮城内陸地震
[編集] 参考文献
- 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編 『日本の多目的ダム』1963年版:山海堂 1963年
- 建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編 『日本の多目的ダム 直轄編』1980年版:山海堂 1980年