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甲相同盟 - Wikipedia

甲相同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

甲相同盟(こうそうどうめい)は、戦国時代に甲斐国武田氏相模国後北条氏との間で結ばれた軍事同盟

目次

[編集] 戦国時代の甲相関係と地域情勢

戦国時代の関東地方東国において、甲斐国では守護武田氏による国内統一が進んでおり、新興大名であった北条氏は駿河国今川氏と駿相同盟を結んで関東へ進出し、山内上杉氏扇谷上杉氏の両上杉や古河公方足利氏と敵対していた。甲斐国では信虎期に国統一を達成し、甲斐国内の国人領主と結び敵対していた駿河今川氏とは和睦し甲駿同盟が結ばれるが、これは駿相同盟を破綻させることになった(河東の乱)。信虎は扇谷上杉氏の救援に応じたため北条と敵対し甲斐都留郡の甲相国境を中心に北条方との抗争が続き、天文4年(1535年)には山中の戦いなど大規模な合戦も行われている。

信濃侵攻を志向していた甲斐国では武田晴信(信玄)が、両上杉氏を当面の敵としていた相模国では北条氏康が、三河国での織田氏との対立を抱える駿河国では今川義元がそれぞれ家督を継承して当主になると、天文14年(1545年)には晴信が主導して駿相関係が修復され、さらに三者で婚姻関係を結ぶことで攻守同盟として機能する甲相駿三国同盟が成立する。

この三国同盟の成立により、武田晴信(以下信玄)は信濃侵攻を本格化させ北信諸族を庇護する越後国長尾景虎(上杉謙信)との対決が不可避となり数次にわたる川中島合戦を展開し、北条氏康は北関東侵攻において関東管領上杉憲政を庇護し管領職を継承することになる景虎と対立することになり、甲相同盟は相互に出兵要請を行うなど軍事同盟として機能しており、長尾景虎は二正面作戦を余儀なくされる。

[編集] 武田氏の駿河侵攻と甲相同盟の破綻

信濃国の大半を領した信玄後期の武田氏では、第四次川中島合戦や今川義元の娘を成立としていた嫡男義信が廃嫡された義信事件、桶狭間の戦いでの義元の討死などを契機として従来の北進策から今川領国を志向する南進策へと外交方針を転化させ、甲駿同盟は破綻し武田氏による駿河侵攻が行われる。北条氏康は今川氏当主氏真との駿相同盟を維持して駿河に出兵し、また武田との対立関係が続いていた越後の上杉氏と越相同盟を結んだ。こうして甲相同盟と三国同盟は完全に破綻する。

甲相同盟の破綻により甲相領国が接する駿河や北武蔵・西上野においても緊張が高まり、武田氏の駿河侵攻も苦境を強いられた。信玄は常陸国佐竹氏や三河国の徳川家康らと関係強化を志向して北条領国への出兵を促し、足利将軍義昭を奉じる尾張国織田信長には越後上杉氏との調停を依頼した。

[編集] 甲相同盟の復活と武田氏滅亡

武田氏は永禄12年(1569年)に第二次駿河出兵を行い駿河を制圧し、三河・遠江を巡り織田・徳川との対立が発生していた。一方の北条氏では北関東における越相同盟が軍事同盟として十分に機能しておらず、氏康が死去し氏政が当主となると武田との和睦を志向する。元亀2年(1571)年には甲相同盟は復活しているが、交渉は秘密裏に行われており文書には見られないが、後世に成立した武田方の軍記物である『甲陽軍鑑』では和睦は北条方から、北条方の軍記物である『関八州古戦録』によれば武田方から持ちかけられたものであるとしている。

復活した甲相同盟により駿河や武蔵・西上野での甲相対決は解消され、北条氏は再び北関東において上杉と対決することになり、相互に軍事同盟として機能している。武田氏は信玄晩年に行われた西上作戦により織田・徳川との抗争が激化し、勝頼期には天正3年(1575年)の長篠の戦いにおける織田・徳川連合軍への大敗を契機に領国維持が困難となり、勝頼は甲相同盟を強化するため氏政の妹を正室に迎え、信長と敵対していた将軍義昭の主導する「甲相越一和」に応じ、上杉や安芸国の毛利氏、本願寺勢力との信長包囲網に応じて信長勢力と対抗した。

天正6年(1578年)には越後で上杉謙信が死去し、後継を巡り養子である上杉景虎上杉景勝との間で対立が発生する(御館の乱)。景虎は越相同盟の際に養子となった氏康の子で、氏政は甲相同盟に基づいて勝頼に景虎支援のため越後出兵を依頼する。越後へ出兵した勝頼ははじめ調停を試みるが、外交方針を転身し景勝側と接触し、甲越同盟を結ぶ。乱は景勝が制し、景虎は自害している。

甲越同盟の成立により甲相同盟は再び破綻し、勝頼による西上野における沼津領への侵攻などで甲相は対決し、氏政は三河の徳川氏と同盟し駿河の武田領国を侵している。甲相同盟の破綻により勝頼の領国維持はさらに困難になり、天正10年には織田・徳川連合軍による本格的な甲斐侵攻が行われ、武田氏は滅亡した。

[編集] その後の甲相関係

武田領国は織田家臣により支配されるが、同年には上方で本能寺の変により織田信長が横死したため武田遺領は空白地となり、北条氏は武田遺領を巡り徳川氏と争う(天正壬午の乱)。甲斐は乱を制した徳川家康により支配され、豊臣政権が確立すると甲斐は北条領国との最前線として豊臣系大名が配置されるが、小田原合戦により北条氏は豊臣政権に屈服した。


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