火葬場
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火葬場(かそうば、crematory)とは、遺体を火葬するための施設。本稿では主として日本の火葬場について記す。
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[編集] 歴史
[編集] 古代
火葬は、日本では宗教的要請から発生した。当初は恒久的な「火葬場」は設けられず、その都度火葬炉が仮設されて火葬が行われたり、人里離れた野原で行われたりしていた(「野焼き」という)。野焼きは、地域によっては昭和後期まで続けられていた。
[編集] 中世
近現代になってからは墓地などに恒久的な炉が併設され、そこで火葬が行われることが増えてきた。
火葬場は「焼き場」「火屋」「三昧」「荼毘場」とよばれた。都市の形成にともなって数を増やしていったが、京都では秀吉廟の建造にともない鳥辺野の火葬場の臭気が疎まれて移転したり、江戸では4代将軍徳川家綱の上野寛永寺参詣時に臭気がおよんだことから小塚原刑場付近に統合されるなどした結果、徐々に郊外で大規模化していった(現在の東京博善町屋斎場は、立地にその名残をとどめている)。また、寺院が経営するものも多かった。
[編集] 近現代
近代に至るまで、日本の葬送儀礼として火葬は決して主流ではなかった。しかし遺骨がコンパクトにまとまり持ち運びが可能になる・土葬のように数年単位で墓地の面倒を見る必要がない・墓地の土地面積が節約できる・感染症等の防疫対策などのメリットが徐々に浸透し、それに伴い徐々に火葬が普及していった。高度経済成長期以降の人口の都市集中なども火葬の追い風となり、それ以降では火葬が主流になったと言っても良い。
火葬の普及に伴い、墓地とは無関係に、独立した火葬専門の施設が設置されることが多くなっている。
それらの火葬場は、主に各市町村の清掃・衛生関連部署による運営や、複数の市町村が一箇所に集約して使われる行政組合による運営のものが多いが、一部民営・業務委託・半官半民(PFI)といった形態で設置・運営しているものもある。米国のサービスコーポレーションインターナショナルのような大規模な葬儀会社の一部門として組み込まれている場合もある。また東京では、他地域の公営火葬場主流に対して、東京博善(廣済堂グループ)という民間企業が大半の火葬を行っているという特徴がある。
[編集] 構造
[編集] 概要
初期のものは「三昧」と呼ばれる木材や藁を燃料とした簡易な火葬炉があるだけ、あるいは集落の集会場と火葬炉といった素朴・単純なものだった。
近年建設された建物については、火葬炉と炉前ホールのほかに、最後の別れをする告別室と骨上げを行う収骨室が備えられていることが多い。一部の大規模な火葬場は通夜・葬儀が行えるように式場と親族控室、遺体冷蔵用の霊安室を併設しており、売店や骨上げまでの待合室として喫茶室などが設けられている総合斎場もある。
[編集] 火葬炉の構造
火葬炉は、おおまかには「台車式」と「ロストル式」の2種類に分けることができる。
台車式は、鉄などによって作られた台車の上に、五徳などをはさんで棺を置き、台車ごと火葬炉に入れて焼く方法である。遺体は、開始直後は棺の下側からもバーナーの炎にさらされるが、棺が燃え尽きたあとは上面からしかあたらないため、時間がかかる。しかしながら、骨はあまり落差のない台車上に落ちるためにばらばらに散乱することがなく、きれいに残るという特徴がある。
ロストル式は、炉内に渡した数本の鉄棒で作られた格子の上に棺を載せて焼くという方法である(「ロストル」は、調理器具などの「ロースター」と同じ意味)。そのため、炎はずっと遺体の下にもまわり、速やかに火葬を行うことができる。しかしながら、骨は格子から落差のある骨受け上に落ちるため、多くの場合位置関係はばらばらになる。
いずれも一長一短があり、火葬場の判断によって選択される。
火葬後には骨が残される。骨上げでは、西日本は主要な骨のみを骨壺に収めるため、拾骨されなかったものは後に残される。東日本では基本的にすべての骨を収めるが、多少の残灰が残される場合がある。骨壺に入れられなかった残骨灰は専門の業者が回収し、コバルト・ステンレス・チタンなど希少金属の選別などを経て合葬される。
[編集] 近年における火葬場の変遷
一時期は高い煙突が火葬場の象徴ともなっていたが、技術的には燃料の石油化、ガス化や火葬炉排気の再燃焼処理の普及、社会的には火葬場がそばにあるということへの近隣住民の拒否感などにより、近年設置される火葬場において煙突が見られることはほとんどない。また1970年代後半から、再燃炉の開発により、臭気除去や無煙化が図られた。
燃料は長らく薪であったが、A重油、白灯油、特に近年は都市ガス・LPガスが多い。過去には稀に電気という施設もあった。
火葬場の改築・移転には当該地域の住民による反対運動がおこりやすい。そこでいくつかの自治体が集まって広域行政組合を設立し、広域斎場を設けることで、そのリスクを低減することを図る傾向がある。同様の事情から、住宅地から離れた場所に立地しようとするのが一般的だが、日本の住宅事情を考慮すると、必ずしもそのような場所に作れるとは限らない。そのため都市部のような場所においては、周辺を森で囲む・ぱっと見ただけでは火葬場とはわからない外観など、周辺地域に配慮した立地となっている。霊柩車についても、宮型のものは自粛を要請したり禁止したりする場合がある。また、名称も「~斎場」「~聖苑」などが多く、「~火葬場」とする施設は激減している。旧式の火葬場は、改装・移転にともなって、急速に姿を消しつつある。
[編集] 火葬から収骨まで
日本では、火葬後に骨上げを行い骨壷におさめるという流れになっているため、炉前で遺体を見送り、火葬後に拾骨するというところまでがセットになっている。また、骨上げをする関係から骨をきれいに残すことが重視されるため、火葬技術者には独特の高度な技術が求められている。
[編集] 海外の火葬場
[編集] インド
インドでは主流の宗教・ヒンドゥー教の習慣に基づき、火葬が行われることが多い。インドにおける火葬場は、野外に設けられており、薪を積み上げてその上に遺体を置いて点火するという様式である(いわゆる「野焼き」)。近年では、燃料としての木材伐採が環境破壊につながるとして深刻な問題となっており、また薪が高騰していることもあって、日本の技術を使った「近代的な」火葬炉も設置されている。しかしながら、古来からの伝統的野焼きにこだわる人がまだまだ多く、野焼きが続けられている。
[編集] ネパール
インド同様のヒンドゥー教主流の国であり、首都のカトマンズにはパシュパティナート(Pashupatinath)というインド亜大陸の4大シヴァ寺院のひとつに数えられるネパール最大のヒンドゥー寺院があり、その裏側にはガンジス川の支流でもあるパグマティ川が流れており、河原のガートでは一日中火葬の煙が絶えることはない。カトマンズの朝霧は、火葬場の煙といわれるほどである。上流階級の者ほど上流側のガートで焼かれる。輪廻転生を信じるヒンドゥー教徒は墓は作らない。焼かれた灰は当然ながら、すべて隠坊によって箒とバケツの水でパグマティ川に無造作に流される。また、火葬の際には、親族の男性は火葬の傍らで髪を剃る習慣がある。河原では、火葬台の脇で人々が沐浴をしたり少年が遺体から流された供物を盗もうとして咎められたりする光景が始終見られる。寺院自体はヒンドゥー教徒以外は立ち入れないが、火葬場は有料ながら誰でも見学できる。
[編集] 欧米
欧米では、火葬場に遺体をあずけ、後日遺骨を受け取るという流れが多い。また、骨上げという習慣がなく、火葬後の骨は顆粒状に粉砕してさまざまなかたちをした遺骨入れにおさめて引き渡すため、日本と比べると比較的高温で焼くことが多い。骨壷の形も、顆粒状の骨を入れられればいいため形にはあまり制約がなく、故人の趣味などにあわせた多様なものが準備されている。近年は日本にも、欧米流の遺骨を顆粒状に粉砕する装置を備えた火葬場も登場してきている。
[編集] 韓国
韓国では、土葬が主流だったが、近年火葬が増加してきており、2004~2005年にかけて火葬件数が土葬件数を上回るようになった[1]。
そもそも儒教国である韓国では伝統的に火葬は先祖に対する不孝であり禁忌とされていたものの、現代、特にソウル都市圏においての墓地逼迫は社会問題化し、ソウルは元より他の大都市圏においても火葬は一般化しつつある。
しかし2007年段階で火葬場は韓国全土で47ヶ所・220炉程度に過ぎず、火葬場不足が深刻となっている。
また、過去に土葬された遺体を改めて火葬するという事例も増えているが、改葬遺骨の火葬についてドラム缶などを使った違法な火葬が跋扈し社会問題となっている。
[編集] 火葬場の色々
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 浅香勝輔・八木沢壮一『火葬場』(大明堂、1983年6月)
- 火葬研究協会立地部会編『火葬場の立地』(日本経済評論社、2004年12月)
- 勝田至『日本中世の墓と葬送』(吉川弘文館、2006年4月)
- 歴史民俗学研究会編『歴史民俗学』19号(批評社、2001年3月。※前沢町〔現・奥州市〕営火葬場についてインタビュー記事あり)
- 横田睦「お骨のゆくえ」(平凡社新書/平成12年)
[編集] 外部リンク
- 厚生労働省 全国火葬場データベース
- NPO法人 日本環境斎苑(火葬場)協会
- 東京博善
- 煙の行方~失われゆく火葬場の記録~
- 火葬場(注:ポップアップ広告が出ます)