火刑
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火刑(かけい)とは受刑者に火をつける、あるいは火であぶることにより殺害する死刑のひとつ。火罪(かざい)、火焙り(ひあぶり)、焚刑(ふんけい)とも呼ばれる。
火刑は、公開処刑で見せしめ(一般予防)的要素が強く、一度の処刑で多数の人間に対し、凶悪犯罪の結果は悲惨な死であるというメッセージを与える事が出来るという点で、非常に効率的である。また多数の受刑者を一時に処刑できるという点も効率的だが、処刑準備に時間がかかるという欠点も持ち合わせている。
火刑では、火傷で死ぬことより、煙で窒息死したり、ショック死したりすることのほうが多い。また、あらかじめ絞首刑などで殺した死刑囚を焼くために行われることもある。また生きている人間を焼き殺すというのはあまりにも残酷なので、「温情」という名目で刑吏が火をつける前に絞殺したり、胸に杭を打ち込んだりして殺害することもあったようだ。
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[編集] 魔女狩り
ヨーロッパでは、火刑は宗教的異端者や魔女狩りなどで魔女とされた者に対して科せられることが多かった。魔女の疑いをかけられた人間は、水を何百リットルも飲まされる、親指つぶしという拷器で指を潰されるなどの拷問を受けた。魔女として魔術を行ったり、悪魔と性行為を行ったという自白をさせられてから、火刑の判決を受けた。拷問中の死亡も多かった。また、拷問に耐えかねて他の女性などを魔女として告発する容疑者もおり、これで芋づる式に逮捕された容疑者が同じ拷問にあい、魔女に仕立て上げられるケースもあった。
この場合の火刑は、被疑者の姿がよく見えるよう、棒に縛り付けた上で足元に可燃物を置く形で準備が進められ、受刑者は衆人環視のなか、火をつけられて焼き殺された。また、このときの火刑にも「慈悲を与える」との名目で予め別の方法で殺害する方法が取られることもあった。
[編集] 江戸時代の火刑
日本の江戸時代に行われた火刑では、市中引き回しを終え刑場に引き立てられた罪人は下働きの非人が馬から下ろし、竹枠が組んである柱に縛り付けられる(罪人を縛り付ける縄は燃え落ちないように泥が塗ってある)。
竹枠の周りに萱を積み上げ、顔以外の罪人の体を覆い隠し、足元には薪を積んで踏ませる。
一連の作業が終わると弾左衛門配下の手代が検視役の与力に準備が整った旨を伝える。検視役の与力は同心に指示をして罪人に間違いないことを確認し、顔を萱で塞ぐ。
検視役与力から命令が出されると風上から火がかけられる。周りでは非人がむしろで仰いで火勢を強くする。
罪人が死亡したら最後に止め焼き(男性は鼻と陰嚢と、女性は鼻と乳房を火で焼く)という動作を行って処刑は完了となる。
その後は磔と同じく3日2晩晒し、非人が刑場の片隅に死体を打ち捨てた。
名和弓雄が鈴ヶ森大経寺の住職に聞いたところによると、鈴ヶ森では海からの横殴りの風が強烈に吹くため、罪人を包む炎が燃えたり消えたりを繰り返し、罪人は獣のような叫びを挙げたという。
[編集] 参考文献
- 石井良助 『江戸の刑罰』 中公新書〈中央公論社〉、1964年、51頁。
- 名和弓雄 『拷問刑罰史』 雄山閣、1987年、186頁。