市中引き回し
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市中引き回し(しちゅうひきまわし)は、江戸時代における日本の刑罰で、罪人を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行していくものである。
ここでは江戸で行われた市中引き回しについて述べる。
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[編集] 市中引き回しの概要
市中引き回しは死罪以上の判決を受けた罪人が受ける付加刑であり、これのみの単独の刑罰ではない。
刑が確定した罪人は伝馬町牢屋敷から出された後、縄で縛られて馬に乗せられる。罪状が書かれた木の捨札や紙で出来た幟、刺股や槍を持った非人身分の雑色が周りを固め、南北町奉行所の与力と同心が検視役として罪人を挟む形で後ろを固め、江戸市中を辿った。
時代劇等では罪人は鞍の付いていない裸馬に乗せられているが、実際は菰を引いた鞍の上に乗せられていた。
[編集] 市中引き回しの行程
江戸市中の引き回しにはコースが2つあった。
1つは伝馬町牢屋敷から江戸城の周りを一周し、牢屋敷に戻って処刑が行われる「江戸中引廻」。
もう1つは伝馬町牢屋敷から江戸城の外郭にある日本橋、赤坂御門、四谷御門、筋違橋、両国橋を巡り、当時の刑場である小塚原や鈴ヶ森に至る「五ヶ所引廻」があり、各場所と刑場には罪人の氏名、年齢、罪状が書かれた捨札が掲げられていた(すなわち6つの捨て札が立つことになる)。
コースの選定は、五ヶ所引廻の方が最終的に受ける刑罰が厳しいため(牢屋敷で行われる刑罰は獄門が最高刑であり、当時の極刑である火刑や磔は刑場で行われた)、罪状の軽重で決められていたようである。
[編集] 市中引き回しに関するエピソード
- 市中引き回しは1日がかりの行程であり(五ヶ所引廻では20kmに及ぶ)、死出の旅ということで、罪人にはお金が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり、煙草を買わせたりした。しかし小石川の商家の前を通った時のこと。路上の見物人の中に赤ん坊に授乳している婦人がおり「あの乳が飲みたい」と罪人が所望した。検視役人は婦人に命じてその願いを叶えてやったが、それ以後この制度は行われなくなった。
- 市中引き回しは知名度の高い罪人が処される時にはさながらイベントと化し、罪人が貧相な風体をしていると江戸市民の反感を買いかねない為、それを嫌った幕府は引き回しの時に調度を整えさせた。鼠小僧は美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅まで注していたという。
- 罪人にも同情すべき点がある場合「幟あずけ」と呼ばれる、引き回しの時に使われた幟を主人に下げ渡す不文律の懲戒処分が行われた。捨てることは許されず、毎年1回罪人の命日に与力が「幟しらべ」と呼ばれる確認にやって来た。そうなるとその店にはもう誰も寄り付かず、大概の店は「幟あずけ」をされると破産してしまったそうである。
[編集] 参考文献
- 石井良助 『江戸の刑罰』 中公新書〈中央公論社〉、1964年、48頁。
- 名和弓雄 『拷問刑罰史』 雄山閣、1987年、180頁。