渡辺二郎
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基本情報 | |
---|---|
本名 | 渡辺二郎 |
あだ名 | |
階級 | スーパーフライ級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1955年3月16日(53歳) |
出身地 | 大阪府 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | 左ボクサータイプ |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 28 |
勝ち | 26 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 2 |
引き分け | |
無効試合 |
渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年3月16日 - )は大阪府出身の元プロボクサー (大阪帝拳所属)。元WBC・WBA世界スーパーフライ級統一チャンピオン。現在は暴力団山口組系極心連合会相談役と報道されている。現在、大阪地検から恐喝未遂で起訴され公判中。
本来は右利きの、コンバーテッドサウスポースタイルだった。引退後の一時期、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントとしても活動した。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] デビュー前
浪商高校~追手門学院大学文学部英文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、大学卒業後に大阪帝拳ジムに入会しボクシングを始めた。アマチュア戦績は4戦4勝。
[編集] プロボクサーとして
- 1979年3月、プロデビュー。
- 1980年2月、後のWBC世界フライ級王者・小林光二を1回KOに降し、全日本フライ級新人王に。
- 1981年4月、世界初挑戦。敵地でWBCスーパーフライ級王者・金喆鎬(韓国)に挑むが、15回判定で敗れる。
- 1982年4月8日、2度目の世界挑戦。ラファエル・ペドロサ(パナマ)を15回判定に降し、WBAスーパーフライ級王座獲得。以後、6度の防衛に成功。
- 1984年7月5日、WBC同階級王者のパヤオ・プーンタラット(タイ)との統一戦に臨む。勝った場合は世界スーパーフライ級の統一王者として歴史に名を残す筈であったがWBAは統一戦の開催を認めず王座を剥奪。この「幻の統一戦」を12回判定勝ちにより勝利を収めた渡辺は「事実上」世界の頂点に輝いた。尚、この世界戦に関しては、WBC王者のパヤオにWBA王者の渡辺が挑戦するという変則的な形で行われ、もしパヤオが勝利していた場合、パヤオは統一王者ではなく、WBC王座のみの防衛となっていた。
- 1985年12月の4度目の防衛戦では韓国に渡り、地元の尹石煥を相手に5回KO勝ち。日本人世界王者として初で現在でも唯一の海外での世界王座防衛を果たした。
- 1986年3月30日、5度目の防衛戦でヒルベルト・ローマン(メキシコ)に12回判定負けを喫し、遂に世界王座陥落。
- 1991年11月8日、現役引退を発表。生涯戦績は28戦26勝(18KO)2敗(世界戦14戦12勝(8KO)2敗)。
[編集] 戦績
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1979年3月27日 | ☆ | 3R | KO | 宮崎敬造 | 日本 | プロデビュー戦 |
2 | 1979年5月19日 | ☆ | 1R | KO | 川平賀彦 | 日本 | - |
3 | 1979年7月28日 | ☆ | 1R | KO | 石井昇 | 日本 | - |
4 | 1979年11月1日 | ☆ | 6R | KO | 石井昇 | 日本 | - |
5 | 1979年12月1日 | ☆ | 1R | KO | 高木信二 | 日本 | 西日本フライ級新人王 |
6 | 1980年1月29日 | ☆ | 4R | KO | 川平賀彦 | 日本 | - |
7 | 1980年2月21日 | ☆ | 1R | KO | 小林光二 | 日本 | 全日本フライ級新人王 |
8 | 1980年6月14日 | ☆ | 6R | 判定 | 曹振鉉 | 大韓民国 | - |
9 | 1980年9月2日 | ☆ | 10R | 判定 | チュクテプ・チュワタナ | タイ | - |
10 | 1980年12月15日 | ☆ | 10R | 判定 | パクタイ・リポビタン | タイ | - |
11 | 1981年4月27日 | ★ | 15R | 判定 | 金喆鎬 | 大韓民国 | WBC世界スーパーフライ級王座挑戦 |
12 | 1981年6月29日 | ☆ | 2R | KO | ベルリン・オリペッティ | フィリピン | - |
13 | 1981年8月9日 | ☆ | 10R | 判定 | 李光錫 | 大韓民国 | - |
14 | 1981年10月10日 | ☆ | 5R | KO | アリババ・ルークロントン | タイ | - |
15 | 1981年11月25日 | ☆ | 4R | KO | ティト・アベラ | フィリピン | - |
16 | 1982年4月8日 | ☆ | 15R | 判定 | ラファエル・ペドロサ | パナマ | WBA世界スーパーフライ級王座獲得 |
17 | 1982年7月29日 | ☆ | 9R | TKO | グスタボ・バリャス | アルゼンチン | 防衛1 |
18 | 1982年11月11日 | ☆ | 12R | KO | 大熊正二 | 日本 | 防衛2 |
19 | 1983年2月24日 | ☆ | 8R | KO | ルイス・イバネス | ペルー | 防衛3 |
20 | 1983年6月23日 | ☆ | 15R | 判定 | 仙台ラミレス | メキシコ | 防衛4 |
21 | 1983年10月6日 | ☆ | 11R | TKO | 権順天 | 大韓民国 | 防衛5 |
22 | 1984年3月15日 | ☆ | 15R | TKO | セルソ・チャベス | パナマ | 防衛6 |
23 | 1984年7月5日 | ☆ | 12R | 判定 | パヤオ・プーンタラット | タイ | WBC世界スーパーフライ級王座獲得/WBA世界スーパーフライ級王座剥奪 |
24 | 1984年11月29日 | ☆ | 11R | TKO | パヤオ・プーンタラット | タイ | 防衛1 |
25 | 1985年5月9日 | ☆ | 12R | 判定 | フリオ・ソト・ソラノ | ドミニカ共和国 | 防衛2 |
26 | 1985年9月17日 | ☆ | 7R | TKO | 勝間和雄 | 日本 | 防衛3 |
27 | 1985年12月13日 | ☆ | 5R | KO | 尹石煥 | 大韓民国 | 防衛4 |
28 | 1986年3月30日 | ★ | 12R | 判定 | ヒルベルト・ローマン | メキシコ | WBC世界スーパーフライ級王座陥落 |
生涯戦績 28戦26勝(18KO)2敗
[編集] 不祥事
- 1995年9月、大阪府警に金融機関からの融資返済に絡む恐喝容疑で逮捕(不起訴で釈放)。
- 1999年に殺人事件を起こした犯人に短銃を譲渡したとして銃刀法違反で逮捕された。2000年の裁判では親交のあった島田紳助が情状酌量を求めて渡辺の減刑を要求[1]。その後、実刑判決を受け服役し、2004年に出所。
- 2007年6月4日、大阪府警岸和田署に、知人の暴行事件を隠匿するために、被害者に被害届の提出をさせないよう迫ったとして証人等威迫の疑いで逮捕されたが、一週間後に処分保留で釈放された[2]。一部報道では容疑を否認していたという[3]。
- 2007年6月30日、大阪府警に恐喝容疑で元タレントの羽賀研二や山口組系暴力団の幹部らとともに逮捕された[4]。この際、マスメディアは渡辺を「指定暴力団山口組系極心連合会関係者」と報じた[5]。
- 2007年7月21日、大阪地検は渡辺と羽賀ら4人を恐喝未遂罪で起訴。渡辺は起訴事実を否認している[6]。
- 2007年7月27日、日本ボクシングコミッションは、渡辺に「今後セコンド等のライセンス所持を一切認めず、元世界王者としても扱わない」として事実上の永久追放処分を下した[7]。
[編集] 脚注
- ^ "汚れた世界チャンプ渡辺二郎、逮捕…羽賀に頼まれ恐喝か" サンケイスポーツ: 2007-07-01. 2007年7月6日閲覧.
- ^ "元世界チャンプ渡辺二郎を恐喝で逮捕" 日刊スポーツ: 2007-06-13. 2007年6月13日閲覧.
- ^ "元ボクシング世界王者・渡辺二郎容疑者を逮捕…証人を威迫" 読売新聞: 2007-06-13. 2007年6月13日閲覧.
- ^ "タレントの羽賀研二容疑者ら4人を逮捕・恐喝容疑" NIKKEI NET: 2007-06-30. 2007年6月30日閲覧.
- ^ "知人男性を恐喝、羽賀研二容疑者ら逮捕" 日刊スポーツ: 2007-06-30. 2007年6月30日閲覧.
- ^ "羽賀容疑者起訴…「恐喝未遂罪」で渡辺二郎容疑者ら4人" 読売新聞: 2007-07-22. 2007年11月14日閲覧.
- ^ "元世界王者・渡辺二郎被告の処分決定" 日刊スポーツ: 2007-07-28. 2007年11月14日閲覧.
[編集] 関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 日本のジムに所属するボクシング世界王者一覧
- ジョー小泉(渡辺のマッチメークを担当)
- 山口組
- 極心連合会
前王者 ラファエル・ペドロサ |
第3代WBA世界ジュニアバンタム級王者 1982年4月8日 - 1984年7月5日(剥奪) |
次王者 |
前王者 パヤオ・プーンタラット |
第5代WBC世界ジュニアバンタム級王者 1984年7月5日 - 1986年3月30日 |
次王者 ヒルベルト・ローマン |