海老一染之助・染太郎
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海老一染之助・染太郎(えびいちそめのすけ・そめたろう)は、実の兄弟による伝統演芸太神楽(だいかぐら)の曲芸師コンビ。落語家の三遊亭圓駒を父に持つ。
「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま~す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない存在となっていたが、兄の染太郎が2002年に亡くなり、その後は弟の染之助がピンで活動している。
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[編集] メンバー
- 兄。東京都新宿区出身。盛り立て役。2002年2月2日、胃ガンのため死去、誕生日を迎えた翌日のことであった。享年71(70没)。
- ナンシー関によると、マネージメントは染太郎が担当していたという。また、染太郎は英語も達者であったとのこと。
[編集] 略歴
- 1945年9月
- 二代目海老一海老蔵(桂文楽の妻の父親)に入門。
- 1946年12月
- 新宿末広亭で「海老一勝太郎・小福」の名で初舞台を踏む。
- 1949年
- 「海老一染之助・染太郎」に改名。
- 1960年5月
- 旧ソ連文化省より招聘を受け旧ソビエトにて公演・初の海外公演。
- 1965年2月
- アメリカABCテレビ出演。
- 1988年10月
- 1989年3月
- CDシングル「おめでとうございます!!」をリリース。
- 2002年2月
- 兄の染太郎が他界。以後、染之助がピンで活動。
- 2004年1月
- 落語家でタレントの桂米助と共に「お染ブラザーズ2004」を正月限定で結成。
- 「おめでとうございま~す」の着ボイスが、「いろメロミックス」内「着と~く」にて配信開始。
[編集] 備考・エピソード
- 染之助が芸を見せ、染太郎が話術で楽しませるというスタイルが定着していたが、染太郎が芸を見せることも稀にあった。
- 芸風が芸風であったために、通夜・葬儀に来てほしくないタレントNo.1に選ばれたことがある。しかし、2人の恩人にあたる人物が他界した時には、故人の妻の頼みもあり芸を披露した。
- 海原やすよ・ともこ(やすよが妹、ともこが姉)らと同じように、弟である染之助の名前が先に来ている。前者は妹の方が先に弟子入りしたためだが、彼らについては情報がないため不明。
- 春風亭小朝に一時期芸を教えていたことがあり、「あいつが出てくるだけでお正月と思える、明るいオーラがある」などと称えていた。
- 「ミスターお正月 お正月と言ったら誰?」と言うアンケートで、1位をとったことがある。
- 染之助は滅多に怒らない人物で「ヨイショの染さん」と呼ばれていたが、後輩芸人が兄・染太郎に対し無礼な態度をとったときは、本気で激怒した。だが、言った本人は冗談のつもりであったため、怒られた時はおろおろしていた。
- 「どっきりカメラ」でやくざの宴会に呼ばれて芸をし、やくざが絡んで怖がらせたところでドッキリというシナリオだったが、弟・染之助が絡まれて兄・染太郎が突如激怒しやくざ役を怒鳴りつけた。予想外の展開にドッキリ役の俳優も怯えながら登場する羽目となった。
- 舞台での兄弟の掛け合いは見事なものだったが、実生活では兄弟仲が悪く、楽屋で喧嘩になることもあったとのこと。
- 染太郎逝去の際、染之助は葬儀会場に居並ぶ報道陣の前で号泣しながら「日本国中、世界の皆さまのお幸せを心から祈念して、まいります。 『おめでとうございまーす!』」と絶叫した。
[編集] 主な台詞
- 「おめでとうございまーす!!」
- 「ありがとうございまーす!!」
- 「いつもより余計に(または、多く)回しております!!」
- 「喜んでやっております」
- 「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じなの」
- 「オープン・ザ・傘」