泰葉
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泰葉(やすは、本名:海老名 泰葉〈えびな やすは〉1961年1月17日-)は、日本のシンガーソングライター、タレント、プロデューサー。東京都出身。元夫は春風亭小朝。所属事務所は、小澤音楽事務所→レッド・バス(結婚による芸能界引退まで)→アイアン・キャンドル(2007年1月-)で、現在はアイアン・キャンドルの代表取締役社長も務めている。
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[編集] 来歴・人物
父は落語家の初代林家三平。母は海老名香葉子。伯父は釣竿職人の中根喜三郎(母・香葉子の兄)、祖父に7代目林家正蔵、実姉に海老名美どり、実弟に9代目林家正蔵と林家いっ平(2009年春に2代目「林家三平」を襲名予定)、義兄に峰竜太、甥に下嶋兄がいる。
東京都立芸術高等学校卒業。春風亭小朝と婚約中の1988年に桐朋学園大学音楽学部に入学(後に中退)。幼少のころからクラシックを学んでいたが、三平の病気をきっかけにポピュラー歌手に転向する。
代表曲「フライディ・チャイナタウン」。また、アーティストへの楽曲提供も行い、「夏のRELIFE」(松本伊代)、「YES、I'TS MY HEART」(少女隊)などを残した。テレビタレントとしての活動としては『午後は○○おもいッきりテレビ』初代アシスタントなど。結婚を機に芸能界を引退し、小朝のマネージメント等に協力していた。
2007年11月に小朝と離婚。この際、離婚記者会見を行ったことにより様々な反響を呼び芸能界へ本格復帰(エピソードで後述)。いわゆる「空気の読めない」キャラクター芸が持ち味。
2008年は夫婦生活や離婚の経緯などを綴った著書『開運離婚』を出版。秋には歌手再デビューを予定している。
[編集] エピソード
- 『オールスターものまね王座決定戦』で、松本明子にモノマネされたことがある。
- 東京芸術大学音楽学部への進学を志望していたが、父三平が倒れたため進学を断念した。その後、春風亭小朝と婚約中の1988年に桐朋学園大学音楽学部に入学した。なお大学は後に中退しており、「音大中退」を自称している。
- 泰葉の勧めで、弟・9代目正蔵がこぶ平の時代に大阪へ来阪する時は、やしきたかじんのかばん持ちをしばらくさせていたことがある。
- たかじんと出演したラジオ番組『ハローナショナルショールーム』で、ゲスト出演をしたECHOESの横柄な態度が気に入らず、たかじんに「やっちゃってください」と言い放ち、たかじんが暴力を振るう始末に展開した。
- 1984年4月23日、『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演した際、泰葉が「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまったことがある。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了した。
- 『おはようスタジオ』司会時代、ゲスト出演した斉藤由貴とのトーク中、「オッパイ大きいね」と言いつついきなり斉藤の胸を揉み、斉藤に「何するんですか!!」と激怒された。
- 仕事の事で悩みがあり引退したがっていたが、しかし辞めたら辞めたでやることがなくなるから辞められないという事を、後に夫となる春風亭小朝に相談したところ、「じゃあうちの子にならない?」とプロポーズされ2人は結婚。同時に泰葉は芸能界から引退した。(2007年2月11日放送『ウチくる!?』より)
- 小朝との結婚が決まった時、やしきたかじんに「小さい朝、小さい朝みいつけた」という電話をした。(2007年11月18日『たかじんのそこまで言って委員会』より)
- その後は元夫・小朝が所属する事務所の社長を務め、主に小朝のマネージメント活動を行っていたが、時折テレビに出演する機会があった。2007年になってからでは、
- 2月11日放送の『ウチくる!?』
- 3月29日放送の『伊東四朗&泉ピン子の夫婦劇場!ワケありオモロイ夫婦一刀両断』
- 4月10日放送の『踊る!踊る!踊る!さんま御殿!!スペシャル』では、夫と共に
- 6月8日放送の『徹子の部屋』
- 6月20日放送の『ザ・快傑ドクター8』では、弟の林家いっ平と共に
といった活動の他、8月28日放送の『たかじんONEMAN』にも出演し、20年ぶりにたかじんと共演した。
- 明石家さんまにプロポーズされたと話している。本気にしていたらしい。林家一門では、さんまが林家三平を乗っ取ろうとしているのではないかと大騒ぎになった。
- 2007年8月24日放送『たけしの誰でもピカソ』では、Mr.マリックやマギー司郎のマジックに対して見事なリアクションをみせる。
- 2007年9月28日を持って、自身がかつてアシスタントを務めていた「おもいっきりテレビ」が最終回を迎えたが、スタジオ出演者としての登場はなかった(過去VTRには若干写ったが)。また、初代メイン司会者であった山本コウタローもスタジオ出演はなかった。
- 2007年11月12日 自らのプロデューサーとしての活動発展を理由に離婚。翌日にメディア発表を行い、小朝、実弟2人の同席や金屏風をバックにした異例づくめの離婚会見を行った。会見では、時折笑いが起こったり、しまいには泰葉がなぞかけやピースをするなど異様な会見だった。その中で離婚の経緯について、仕事を続ける中で主婦業に集中できず、中途半端はいやなため夫婦という関係を解消しようと申し出たことを明らかにする。某テレビ局の取材では、落語家である小朝を尊敬するあまり、夫の小朝との関係が家族愛ではなく師弟愛であったと涙ながらに語り、落語家の妻には二度とならないと語るなど、落語家の妻として振舞うことに相当の苦労があったことを覗かせていた。
- 離婚会見中、リポーターに姉(海老名美どり)の反応について質問されると、困惑したような表情を見せ、少し間が空いて「姉とは仲が悪いんです」と発言。思わぬところで姉との微妙な関係を露呈することになった(姉との不仲も離婚の原因ではないかと報道するマスコミもいた)。
- この離婚会見の詳細特集を11月18日放送の「アッコにおまかせ!」(TBSテレビ)で行なっている時、和田アキ子が「真相が分からないから、電話してほしいね」とカメラに向かって呼びかけたところ、コーナー終了後、泰葉本人から生電話があった。その際、泰葉は「ホントは1人で会見したかったけど、小朝が兄弟も同席させた」などと語った。また、義兄に当たる峰竜太は、今回のことを和田ら出演者らに聞かれた際「私には何の相談もなかったし、分からない」などとし、電話をかけてきた泰葉には「残念」としたものの、泰葉が「いい人ぶっちゃって(笑)」と述べると「ハッキリ言って、こっちも迷惑してんだよ」と真剣な顔でコメントした[1]。
- セックスレスや、小朝の風俗通いなど、離婚の経緯を明かした著書「開運離婚」(小学館)の出版記念サイン会では、セックスレスについて、「清らかな関係。クモの巣だらけでした」と説明した[2]。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- フライディ・チャイナタウン / モーニング・デート(1981年9月)
- ブルーナイト・ブルー / 突然ハプニング(1982年3月)
- 水色のワンピース / Thinking of you(1982年8月)
- ポール・ポーリー・ポーラ / 涙のブロークンハート(1983年4月)
- COOL TOWN / HOT TOWN(1983年10月)
- 夏の恋・ジェラシー / 夏のエピソード(1984年6月25日)
- 下町スウィング / ショート・ストーリー(短編小説)(1984年9月25日)
- Sincerely Yours / Don't You Know(1986年9月25日)
[編集] アルバム
- TRANSIT(1981年11月1日)
- ViVid(1982年4月25日)
- わっ不思議ー(1982年 ミニアルバム)
- レコードの溝が2本切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。同じ曲(「水色のワンピース」)のアレンジ違い版が入っており、レコード針の落とし方でどちらかが流れる。
- RESERVED(1983年3月25日)
- わっ不思議ーPart.2(1983年11月1日 ミニアルバム)
- レコードの溝が逆方向に切ってある特殊加工レコード(A面のみ)。通常のレコード盤と違い、針を内側に落として再生する。曲の進行とともに針が外側に移動する。
- ジャケットはアルバム「RESERVED」のジャケットを反転(文字が裏返し)したもの。
- White Key(1984年9月5日)
- YAHHOO!!(1986年9月25日)
[編集] 著書
- 開運離婚(2008年2月、小学館刊) ISBN 4093637180
[編集] 主な出演番組
- 午後は○○おもいッきりテレビ
- たかじんのそこまで言って委員会 - 離婚の経緯などを説明。
- おはようスタジオ
- ウィークエンドイングス
- ハローナショナルショールーム
- MBSヤングタウン - やしきたかじんと共にパーソナリティを務めていた。
- テリー伊藤のってけラジオ(2008.6.13)
[編集] 外部リンク
- 泰葉の革命プロジェクト(公式サイト)