江風 (白露型駆逐艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴 | |
---|---|
発注: | マル2計画 |
起工: | 1935年4月25日 |
進水: | 1936年11月1日 |
就役: | 1937年4月30日 |
その後: | 1943年8月6日戦没 |
除籍: | 1943年10月15日 |
性能諸元(計画時) | |
排水量 | 基準:1,685トン |
全長 | 111m |
全幅 | 9.9m |
吃水 | 3.5m |
機関 | オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp |
最大速力 | 34ノット |
航続距離 | 18ktで4,000浬 |
乗員 | 226名 |
兵装 | 50口径12.7㎝連装砲 2基4門 50口径12.7㎝単装砲 1基1門 13mm連装機銃 2基 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (魚雷16本) 爆雷投射機2基 爆雷×16 |
江風(かわかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型の9番艦(改白露型3番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては3隻目。
目次 |
[編集] 艦歴
藤永田造船所で1935年4月25日に起工し、1937年4月30日に竣工した。
1937年8月から「海風」「山風」「涼風」と共に第24駆逐隊を編成し、1940年11月、第2艦隊第4水雷戦隊に編入され太平洋戦争を迎えた。南方部隊に属しレガスピー上陸作戦、ラモン湾上陸作戦に従事。1942年1月から蘭印部隊に属しタラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦、マカッサル攻略作戦、スラバヤ沖海戦、パナイ島攻略作戦に参加した。6月のミッドウェー海戦では主力部隊の護衛に従事した。8月11日、横須賀を出港し空母「千歳」をトラックまで護衛、17日からガダルカナル島輸送作戦に10回従事。10月26日南太平洋海戦、11月30日ルンガ沖夜戦に参加した。
1943年1月、コロンバンガラ島輸送作戦に3回、ガダルカナル島撤収作戦に2回出動同した。2月9日、ラバウルへ回航中、ショートランド付近で「東運丸」と衝突し浸水が生じたため、「黒潮」に曳航されラバウルで応急修理を受け、さらに佐世保で修理を行った。その後、給糧艦「伊良湖」、「愛国丸」をトラックまで護衛、6月5日からナウル輸送、ルオット輸送などに従事した。6月末、重巡「鳥海」を護衛中、軸受故障によりトラックに引き返した。
1943年8月よりツルブ輸送に従事し、6日、コロンバンガラ輸送の途中、ベラ湾夜戦において米駆逐艦隊と交戦し、「スタレット」(USS Sterett, DD-407)、「スタック」(USS Stack, DD-406)からの雷撃を受け沈没、柳瀬艦長以下169名が戦死した。
[編集] 公試成績
時期 | 排水量 | 出力 | 速力 | 実施日 | 実施場所 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
新造時 | 42,960shp | 34.75kt | 全力 | |||
同上 | 47,001shp | 35.88kt | 過負荷全力 |
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 山田雄二 中佐(1936年12月1日就任)
[編集] 艦長
- 山田雄二 中佐(1937年4月30日就任)
- 楢原省吾 少佐(1938年7月30日就任)
- 吉田正義 少佐(1938年12月15日就任)
- 横井稔 少佐(1939年5月20日就任)
- 吉川潔 少佐(1939年11月15日就任)
- 若林一雄 少佐(1940年11月15日就任)
- 柳瀬善雄 少佐(1942年11月28日就任) 1943年8月6日戦死
[編集] 同型艦
- 白露型駆逐艦の同型艦
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。