五月雨 (駆逐艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1934年12月19日 |
進水: | 1935年7月6日 |
就役: | 1937年1月29日 |
その後: | 1944年8月26日戦没 |
除籍: | 1944年10月10日 |
性能諸元(計画時) | |
排水量 | 基準:1,685トン |
全長 | 111m |
全幅 | 9.9m |
吃水 | 3.5m |
機関 | オール・ギアードタービン2基2軸 42,000hp |
最大速力 | 34ノット |
航続距離 | 18ktで4,000浬 |
乗員 | 226名 |
兵装 | 50口径12.7㎝連装砲 2基4門 50口径12.7㎝単装砲 1基1門 40mm単装機銃 2基 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (魚雷16本) 爆雷投射機2基 爆雷×16 |
五月雨(さみだれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型の6番艦である。
目次 |
[編集] 艦歴
浦賀船渠で1934年12月19日に起工し、1937年1月29日に竣工した。
太平洋戦争開戦時には「村雨」「夕立」「春雨」と共に第2駆逐隊(第2艦隊第4水雷戦隊所属)を編成していた。1941年12月より比島ビガン攻略作戦、リンガエン湾上陸作戦、タラカン上陸作戦、バリックパパン攻略作戦、スラバヤ沖海戦に参加した。1942年3月には比島保定作戦に加わり、6月のミッドウェー海戦では攻略部隊に属して出動した。9月2日からトラック方面の哨戒に当たり、24日からガダルカナル島輸送作戦に2回従事。10月24日、ガダルカナル島輸送の途中で爆撃を受け、至近弾により損傷しトラックで修理を受けた。11月12日から第三次ソロモン海戦に参加し、「霧島」の乗員救助を行った。
1943年1月、ガダルカナル島撤収作戦に2回従事し、その後、ウエワク輸送、ハンサ輸送、コロンバンガラ島輸送などを実施した。5月13日に北方部隊に編入され、千島方面で対潜哨戒に従事。7月7日にはキスカ島撤退作戦に加わった。9月28日、コロンバンガラ転進作戦に参加、10月はツルブ、ガブツ輸送作戦に従事した。11月2日、ブーゲンビル島沖海戦において「白露」と衝突し損傷を受け、トラックで応急修理を受け、12月19日から横須賀で二ヶ月間に及ぶ修理を行った。
1944年3月から5月まで、内地からサイパン、トラックへの船団護衛に従事し、6月2日より渾作戦に加わり、6月19日、マリアナ沖海戦に参加した。8月からマニラ輸送に従事していたが、18日、パラオ諸島北端で座礁した。座礁中の26日に米潜水艦「バットフィッシュ」(SS-310)の雷撃を受け沈没した。
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 有近六次 少佐(1936年11月12日就任)
[編集] 艦長
- 有近六次 少佐(1937年1月29日就任)
- 渡辺保正 少佐(1937年12月1日就任)
- 阿部徳馬 少佐(1938年12月15日就任)
- 松原瀧三郎 少佐(1939年11月15日就任)
- 中村昇 少佐(1942年10月13日就任)
- 杉原与四郎 少佐(1943年8月13日就任)
- 西村徳太 少佐(1944年3月1日就任)
- 大熊安之助 少佐(1944年7月2日就任)
[編集] 同型艦
- 白露型駆逐艦の同型艦
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。