歴史修正主義
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歴史修正主義(historical revisionism)とは、
- 新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした試みのこと(歴史学における用法)
- 従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するもの」として批判する場合に用いられる言葉(通俗的な用法)
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[編集] 歴史学における「歴史修正主義」
歴史学においては、歴史修正主義とは、新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした、歴史学における試みのひとつを表わす。一般には、伝統的な歴史解釈に対し、別の可能性(仮説)や、可読性(読み方)を提示する試みをいう。改訂された叙述が正しい(正しく改訂する)という、価値判断に関わる意味は含まない。revisionは、改訂・校訂(版)・修正・復習などの意の名詞であり、日本ではrevisionismをマルクス修正主義に対応させることが多いが、まったく本来的な用法ではない。
歴史学においては、右翼・中道・左翼・宗教関係など如何なる勢力に関わらず、特定の思想・宗教に則った価値判断に依拠する歴史観に対して、それらを実証史学から区別するために用いられる用語である。
もともと、歴史修正主義あるいは修正史観という言葉は、それまで主流的であった歴史観を再検討した上で新たに提示された歴史観を表す言葉であった。自国の歴史を肯定的に捉えなおすものに限って用いられる用語ではなく、また思想的に偏向した歴史観に限って用いられる用語でもなかった。古くは第一次世界大戦におけるドイツの戦争責任の再検討などがあげられ、また戦後にはアメリカで行われた、アメリカの自由・人権への貢献を強調する歴史観を再検討し、アメリカにおけるマイノリティ集団の歴史的意義に注目する動きが歴史修正主義と呼ばれていた[1]。
歴史学においては、ニューヒストリーや国民国家論などの展開を経て、従来の歴史認識がもっぱら大日本帝国による抑圧と、抑圧される民衆(とりわけ、植民地であった朝鮮・台湾の現地人)との対峙という構図に終始していたという点を反省し、むしろ民衆が大日本帝国の政策に適応・協力していた状況や、大日本帝国の政策が帝国主義としての政治的な枠組みを超えて、民衆社会にまで近代化・資本主義化の変化を促した点を取り上げる動きが現れている[2]。
[編集] 通俗的な用法としての「歴史修正主義」
上述のような学術的用法に対し、通俗的な用法として、ある特定の歴史家が、反対者の歴史観に対して、否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いることがある[3]。 この用法では、「歴史修正主義」とは、「客観的な歴史学の成果を無視し、都合の良い過去は誇張や捏造したり、悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去を修正するもの」であったり、「すでに修正された歴史観の再修正をするもの」という意味で使用される。つまり、意味内容としては、ほぼ「否認主義」の類義語・同義語として用いられている。
特定の史料の矛盾を根拠に仮説全体を否定したり、特定の史料を根拠に他の史料の整合性を批判する場合、とくにその背後に特定のイデオロギーによる「ねじれ」が働いている場合、その歴史観を「否認主義」や「歴史修正主義」と呼ぶことが多い。[4]また、実証的・客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史学のモデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加える思想・歴史観のことを蔑称するときに用いられることが多い。[5]
もともと歴史修正主義とは上記にある「歴史学における用法」のように「新たに歴史を検証する試み」という否定的な言葉ではなかったが、西欧においてホロコースト否認論者たちが自らを「歴史修正主義者」と名乗ったため、否定的な言葉として使われるようになった。日本では1990年代後半ころから「『南京大虐殺』はなかった」などと主張する勢力を批判する言葉として使われ、これは西欧のホロコースト否認主義の連想が働いたためとも言われている[6]。
[編集] 修正主義を巡る論議
[編集] 歴史学は科学か非科学か
もっとも歴史は性質上、自然と違って繰り返さないから、物理学の様に追試などのより信頼度の高い科学的手法は行えない。それを指して「歴史は科学ではない」「事実(=史実)は追求不可能である」という批判がなされることが多いが、追試による精査が困難な研究分野を持つ科学は自然科学にも存在する(天文学・地学・生物学など)。このような領域においては十分な観察や分類による知識の整理によって科学的な知見を蓄積しており、またそもそも100%の事実を求めることのできる「科学」は反証可能性をもたないことになり、(カール・ポパーの言う)科学に相当しない。科学でありえる要素において重要なのは現時点で事実が完全に分かるか否かではなく、仮説の精度を高める方法が確立されているかどうかである。
また時に証言という弱い証拠を根拠として採用する事を指して同様の主張を述べる者も居る。証言は全て信頼できる訳でないから取捨選択したり欠落部を補ったりする必要があり、そこには推理という主観が忍び込む余地が大きいと言う訳である。彼らによれば従軍慰安婦の証言なども所詮主観的だから証拠として採用するわけにはいかない、と言う事になる。
しかしながら歴史学における証言とはそのように浅薄なものではなく、その証言の論理性、周辺事実とのマッチングなど幾度もの検証を経て証拠としての有用性がランク付けされる慎重な物であり、またその活用にも同様の姿勢が求められる為、上記の様な批判が必ずしも当てはまるとは限らない。歴史学でいう実証とは史料であれ文献であれ物的資料によるものを指し、資料解釈が属人的に変化するものを認めてはいない。[7]
[編集] 日本と英米の修正主義における異同
英米のrevisionismと日本の歴史修正主義は、近似する点と異なる点を持つ。唯物史観および進歩主義への批判という点で軌を一にするいっぽう、1970年代から提唱されてきた英米のrevisionismはロマン主義や民族主義に異議を唱える。「歴史のロマン(ここで言うromanticismは庶民的の意。庶民的歴史観⇒ロマン主義)」や「グランド・ナラティヴ(地話、お話し)」の完成度や予定調和を否定し、多文化主義的かつ地方分権的である。歴史を地方単位で捉えると同時に、世界システム論などヨーロッパ世界という視点を提示している。この英米的修正主義によれば、名誉革命はGlorious Revolutionではなく、Troubles in England(イングランドの騒乱)と再構成される。
[編集] 出典および脚註
- ^ 歴史学研究会編『歴史における「修正主義」』青木書店、2000、ISBN 4250200213。
- ^ この立場に基づいて日本の植民地支配を論じた著書としては、
- 堀和生, 中村哲編著『日本資本主義と朝鮮・台湾』京都大学出版会、2004年、ISBN 4876986304
- 宮嶋博史,李成市,尹海東,林志弦 編『植民地近代の視座―― 朝鮮と日本 ――』岩波書店、2004 ISBN 400023398X
- ^ 通常、歴史家は自らのモデルを歴史修正主義と呼称するのは希である。英語のrevisionismそのままにリヴィジョニズム(リビジョニズム)と呼ぶ場合も少なくない。歴史的修正主義とも呼ばれる。
- ^ 一部の意見によれば、厳密な意味での客観性は歴史学には存在しないため、「全ての歴史は修正主義」であるとされる。しかしその考えでいくと、考古学・文献学などの緻密で論理的な営みも無意味になってしまい、極端な話、昨日何があったか、誰もわからないことになる。そのため歴史学では、そのような行き過ぎた相対主義は受け入れておらず、多くの検証された史料を論理的に説明できるモデルがその局面における「正しい」仮説とされる。
- ^ 主流派の学説を批判するものは「歴史修正主義者」、それに反論する主流派を「反・歴史修正主義者」などと呼ぶ事も出来るが、実際には当事者のいずれもが正統を標榜する場合、口論の域を出ない限りいずれの可能性もあり、どちらが歴史修正主義者かは一概に言えない。
- ^ 「歴史/修正主義」高橋哲哉・岩波書店
- ^ 大阪大学大学院文学研究科の大学紹介においては、以下のように書かれている。『2. 実証研究の伝統と総合的視点 自然科学であれ人文学であれ、研究の根幹は実証ということです。人文学研究における実証とは、可能なかぎりの関連資料を収集して、知られずにいた文化的事象や感情や心理などを論理的に証明することですが、本研究科は約半世紀のあいだ、そのような実証を根幹とした研究を進めてきました。』
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- 小田中直樹「歴史理論(回顧と展望―二〇〇四年の歴史学界)」(『史学雑誌』114-5、2005年)
- 高橋哲哉『歴史/修正主義』岩波書店、2001、[1] ISBN 4000264346
- 松浦寛「ロベール・フォリソンと不快な仲間たち――歴史修正主義の論理と病理」上智大学仏語・仏文学論集2000年3月。[2]
- 熊谷伸一郎「歴史修正主義との闘い――検証 南京事件・「百人斬り」訴訟--問われる戦後責任・報道責任」世界2005年11月。[3]
- 坂井康夫「歴史を偽造・捏造する「つくる会」――歴史修正主義の汚い手口(従軍慰安婦問題を中心に)〔特集・偽りの歴史――「つくる会」批判〕」プロメテウス 2001年11月。[4]
- 俵義文「右派歴史修正主義の最近の動き--国民の考え方を戦争に導く策動 〔特集・歴史は誰のものか――日本の侵略と戦争犯罪を問う〕」社会評論 1999年7月。[5]
- 小田中直樹「歴史理論(回顧と展望―二〇〇四年の歴史学界)」(『史学雑誌』114-5、2005年)
[編集] 外部リンク
- 教科書が教えない歴史 自由主義史観研究会(藤岡信勝)
- 歴史的修正主義研究会(加藤一郎主宰)