田中正明
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田中 正明(たなか まさあき、1911年2月11日 - 2006年1月8日)は評論家。長野県下伊那郡喬木村出身。
松井石根の元私設秘書。南信時事新聞・元編集長、拓殖大学講師。日本アラブ協会常任理事。イオンド大学教授。
南京大虐殺の存在に否定的な立場からの研究で知られる。田中の弟子としては水間政憲が保守系雑誌で、松尾一郎がインターネット上で田中の主張を引き継いで展開している。
目次 |
『松井石根大将の陣中日記』改竄について
田中は、本書を1985年芙蓉書房から出版し、南京事件幻説を補強する有力証拠だと主張したが、その際、松井日記の記述を日本軍に有利な方向に捻じ曲げる「加筆・修正・削除」を全く読者への断りのないまま行なった。「南京占領後の態度方針を説明するため外人記者団と会見をした」といった原文にない記述を追加した上、注釈として「松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けたという様子が全くみられない」などと述べるなど深刻なものも多く、細部まで含めると「修正」箇所は300ケ所以上に及ぶ。その事実は、「中間派」である板倉由明によって指摘された。[1] [2] [3]
これについて田中は「語句の扱いに配慮を欠いた点は認めますが、原文を勝手に書き直して、虐殺事件を隠したとか、大将の不利を補ったとかいったようなことは毛頭もありません。」と自著で反論している。(「朝日」の策略!「松井大将陣中日誌」改ざん事件の真実)
しかし、原文に存在しない文章を説明なく追加し、追加した文章を根拠に南京虐殺を否定する主張を行っている以上、史料を書き換えて南京事件を否定しようとしたことは否定できず、上の反論には説得力がないとする見方が一般的である。(田中正明「松井岩根大将陣中日記」の改竄について)
また、上記の田中の反論は、直接自身に厳しい批判をした板倉にではなく、なぜか改竄の事実を報道した朝日新聞に向けられていたうえ、一般の報道被害から朝日新聞の南京事件に対する報道姿勢までが混在したものだった。
史料改竄の発覚後も謝罪や訂正を行わず、上記のような主張を行ったことによって田中の社会的評価はさらに低下し、この時期の南京大虐殺論争に終止符が打たれる直接の原因ともなった。
『パール博士の日本無罪論』
パール博士は、自身の意見書において、一部の暴虐行為は支那兵によるものなのではないか、証言には虚偽誇張が含まれているのではないか、との疑念を呈しつつ、「それでもなお南京陥落時の日本兵による暴虐な出来事の存在を認めざるをえない」としている。しかし、前述の「疑念」に加え、松井石根に対し無罪を主張したこと(『パル判決書』講談社学術文庫: 下巻p.566)から、田中はあたかも「パール博士が南京大虐殺は虚妄と主張した」かのように紹介した。
なお、パール博士が松井を無罪としたのは、「裁判の在り方自体に有効性がないため『有罪』という概念そのものが成立しない」との博士自身の主張に沿ってこれを全ての被告に対し一律に適用したものであり、各事件の事実関係の認定とは直接の関係がない。
主著
- パール判事の日本無罪論
- アジアの曙
- 南京虐殺の虚構
- 松井石根大将の陣中日記
- 南京事件の総括
- アジア独立への道