欧陽菲菲
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欧陽菲菲(おーやんふぃーふぃー、中国読み:オウヤン・フェイフェイ(OuYang FeiFei) 本名:式場欧陽菲菲 1949年9月10日-)は、中華民国出身の歌手。過去に渡辺プロダクションに所属していた。
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[編集] プロフィール
1967年に台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした。日本のプロダクションより日本での歌手活動が打診されたが、本国での人気をご破算にしての日本行きに周囲は難色を示した。しかしその後観光ビザで来日し、1971年9月に『雨の御堂筋』で日本デビュー。同曲が約136万枚[1]の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がり、同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。翌1972年の「第23回NHK紅白歌合戦」には外国人ソロ歌手として初出場を果たす。
『ラヴ・イズ・オーヴァー』(1984年)などのヒット曲を飛ばしたことで知られ、そのソウルフルな歌唱がアジア各地でも高い人気を誇る。また日本では、その片言の日本語でバラエティ番組でも人気が高い。1999年の921大地震の際や近年ではエイズにおけるチャリティーコンサートまでをも開き国民から賞賛されるなど、現在も中華民国を代表する国民的人気歌手の一人である。
[編集] 家族
1978年に、日本のモータースポーツ黎明期の伝説的レーシングドライバーで病院経営者の式場壮吉と結婚した。妹の欧陽ペペは渋谷区代官山で高級中華料理店を営む実業家。また、弟の欧陽龍は元俳優で現在は台北市議会議員(中国国民党)。父親は元パイロットであり、名前の「ふぃふぃ」には空を飛ぶというニュアンスが込められている。
[編集] 代表曲
[編集] 日本における代表曲
- 雨の御堂筋 (1971.09.05)
- 雨のエアポート (1971.12.20)
- 恋の追跡(ラブ・チェイス) (1972.04.05)
- 夜汽車 (1972.08.05)
- 雨のヨコハマ (1972.12.20)
- 恋の十字路 (1973.04.05)
- 恋は燃えている (1973.08.20)
- 火の鳥 (1973.12.01)
- 星影のバラード(More Than I Can Say)
- ラヴ・イズ・オーヴァー(生沢佑一、内藤やす子、ニック・ニューサー、やしきたかじんらとの競作。元は1979年発売の「うわさのディスコ・クィーン」のB面曲だが、当時日本国内では2~3万枚の売上に終わった。だが欧陽菲菲はその後も「ラヴ・イズ・オーヴァー」を歌い続け、1982年9月1日にA面曲として再発。1983年にヒットチャート入りを果たした[2])
- 忘れていいの(谷村新司のカヴァー)
- 愛伝説(1987年の東海テレビ系同名ドラマ主題歌)
[編集] 自国における代表曲
- 雨中徘徊(雨の御堂筋)
- 愛我在今宵(恋の十字路)
- 就這樣甜蜜活到底(恋の追跡)
- 熱情的沙漠(情熱の砂漠 ザ・ピーナッツのカヴァー)
- 五月情意(また逢う日まで 尾崎紀世彦のカヴァー)
- 喝采(喝采 ちあきなおみのカヴァー)
- 嚮往
- 她的背影(甘い十字架 布施明のカヴァー)
- 可愛的玫瑰花(お手やわらかに 夏木マリのカヴァー)
- 珍重(絹の靴下 夏木マリのカヴァー)
- 再見吾愛(グッバイ・マイ・ラブ アン・ルイスのカヴァー)
- 愛的路上我和你(セクシー・バス・ストップ 浅野ゆう子のカヴァー)
- 嘿嘿TAXI(ムーン・ライト・タクシー 浅野ゆう子のカヴァー)
- 噢!李先生(オー!ミステリー 浅野ゆう子のカヴァー)
- 夢舞(ハッスル・ジェット 浅野ゆう子のカヴァー)
- DISCO QUEEN(うわさのディスコクィーン)
- 快樂在心扉(MORE THAN I CAN SAY Leo Sayer/Bobby Veeのカヴァー)
- 逝去的愛(LOVE IS OVER)
- 不要離開我(忘れていいの 谷村新司のカヴァー)
- 今夜我仍在想你(Good night Darling Good-bye)
- 愛是唯一的言語(We Love Heart)
- 擁抱(with Tokyo D)
- 有情人總被無情傷
- 感恩的心(テレビドラマ「阿信(おしん)」エンディング)
- 呑下恐龍的蛋
- 出境入境
[編集] ゲスト出演
[編集] 脚注
- ^ 古茂田信男、矢沢寛、島田芳文、横沢千秋『新版 日本流行歌史〈下(1960~1994)〉』(ISBN 4390501968)、社会思想社、1995年、56頁
- ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手(下)』現代教養文庫、1997年、162頁。ISBN 4390116029