植田辰哉
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植田 辰哉(うえた たつや、1964年7月25日- )は、日本のバレーボール元選手(元全日本代表)・指導者。香川県東かがわ市(旧大川郡白鳥町)出身。現在バレーボール全日本男子代表監督。大阪商業大学卒業。身長196cm。
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[編集] 経歴
新日鐵では、センタープレイヤーとして日本リーグ・ベスト6賞に5年連続選出された。全日本男子では1992年バルセロナオリンピックにキャプテンとして出場するなど活躍。指導者としては、新日鐵/堺ブレイザーズ監督、全日本ジュニア男子チーム監督などを歴任。
2004年、全日本男子暫定監督に就任、その年のワールドリーグ予選ラウンドの指揮を執った。その翌年の2005年に代表監督を要請され、正式に就任した。
2007年、Vリーグ40回大会記念特別表彰においてVリーグ栄誉賞を受賞。
2008年6月7日、監督として采配を振るった北京オリンピックバレーボール世界最終予選に於いて、自身が選手として出場した1992年のバルセロナ五輪以来16年ぶりの五輪出場権を獲得した。
[編集] 人物・エピソード
- バルセロナ五輪の開会式の日が自分の誕生日だった。ちなみに自身の夫人とも生年月日が同じである。
- 全日本男子を再びオリンピックに出場させるという重要な役目にいるゆえ、試合中でも練習中でも非常に厳しい表情で戦況を見つめ、時には怒鳴り、選手を鼓舞する。修行で滝に打たれる映像は有名。しかし練習オフのインタビューで「徳島ラーメンって美味しいよね」と普段は見せないような表情で答えたこともある。
また、テレビ番組の企画(TBS系ドキュメンタリー番組『バース・デイ』2008年5月29日OA分)で全日本男子主将の荻野正二と合宿の合間にふたりきりで居酒屋へ飲みに行った際には、テレビ収録があるにもかかわらず荻野に「監督」ではなく「辰哉さん」と呼ばれてまんざらでもない表情を浮べていた事から、熱血漢としての監督としての立場とは異なり、コートを離れた場所では非常に大らかな人柄であることがうかがい知れる。 - 2006年11月19日、バレーボール世界選手権の プエルトリコ戦の第4セットにて36-34で競り勝った瞬間、コートで(仰向けで)大の字に倒れて感激を現した。
- 2008年6月7日、北京オリンピック最終予選にて出場権を獲得した瞬間に、コートで(前のめりに)大の字に倒れこみ、そのままの状態で男泣きした(その姿はインターネット上でも大反響を巻き起こした)[1]。その後客席スタンドに駆け上がり、バルセロナ五輪当時の全日本代表監督大古誠司(父のように思っている)と、更には当時の全日本でチームメイトでもあった主将の荻野と硬く抱き合い、感情を隠すことなく喜びを表現した。
試合後の祝勝インタビューでの感涙に咽びながらのコメントは視聴者に感動を与えた。そして、インタビューの最後で「ハッキリ言いますが、メダル狙います」と北京オリンピックでのメダル獲得を目標にすることを高らかに宣言した。
[編集] 球歴
- 所属チーム履歴
[編集] 受賞歴
- 1987年 第21回日本リーグ 新人賞
- 1988年 第22回日本リーグ ベスト6
- 1989年 第23回日本リーグ ベスト6
- 1990年 第24回日本リーグ ブロック賞 ベスト6
- 1991年 第25回日本リーグ スパイク賞 ベスト6
- 1992年 第26回日本リーグ スパイク賞 ベスト6
- 1993年 第27回日本リーグ ブロック賞
- 1994年 第1回Vリーグ スパイク賞
- 2007年 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞
[編集] 脚注
- ^ 同日深夜のフジテレビ系スポーツニュース番組『すぽると!』に生出演した際に自身の映像に爆笑しながら「何なんだコレは…… 昨日といい今日といい」、「恥ずかしいです。(中略)自分でこんなのをパフォーマンスとしては出来ないですからね」とのコメントがあった事から、あくまでも本人の中では無意識のうちに取った行動である事が伺える。
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