森裕子
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森 ゆうこ(森 裕子、もり ゆうこ、1956年(昭和31年)4月20日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)。
生年月日 | 1956年4月20日(52歳) |
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出生地 | 新潟県新津市(現:新潟市秋葉区) |
出身校 | 新潟大学人文学部卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職 | 横越町議会議員 |
所属委員会 内閣役職 |
参・拉致問題等特別委員会委員長 参・厚生労働委員会委員 参・少子高齢社会調査会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 新潟県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 民主党(小沢グループ) |
党役職 | 参議院幹事長代理 新潟県総支部連合会副代表 |
会館部屋番号 | 参・議員会館524号室 |
ウェブサイト | 森ゆうこ公式サイト |
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 出生
[編集] 政歴
- 横越町議会議員選挙(無所属)当選
- 第19回参議院議員通常選挙(新潟地方区・自由党公認)当選(7月29日)
- 第21回参議院議員通常選挙(新潟地方区・民主党公認)当選(7月29日)
[編集] 人物
- 新潟県新津市(現新潟市秋葉区)出身。新潟県立新津高等学校、新潟大学人文学部英文科卒業。大学在学中よりディスカウントストアチェーン創業に参画、子育てをしながら英語塾を経営。
- 公民館に勤務しながら介護ボランティアグループの組織作りに努め、町おこし塾「阿賀の里づくり・よこごし」会長、ミニコミ誌「夢がっと」初代編集長。
- 新潟県女性海外派遣事業(主催・新潟県女性センター)や、全国農業会議所主催の西欧農業女性事情調査団などに加わって北欧や西欧を視察後、新潟県女性財団で企画委員、企画部長を務めた。
- 平成11年(1999年)、中蒲原郡横越町の町議会議員選挙に初当選。横越町議会初の女性議員と報道され、一躍注目を集めた。
- 平成12年(2000年)の衆議院議員選挙で自由党・菊田真紀子(現・衆議院議員)の選挙を手伝った縁で翌年3月、自由党からの出馬要請を受け、家族の後押しにより立候補し参議院議員選挙で初当選。
- 夫との間に二女一男あり。
- 民主党の女性議員の中ではマスコミに積極的に出演し、知名度も高い。
[編集] 国会での主だった活動
[編集] 乱闘
- 2003年7月25日、参議院外交防衛委員会におけるイラク特措法案(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案)の採決(反対した党派とマスコミは強行採決と表現)で、森は短めのスカート・ハイヒールのまま委員長席のテーブルに登って松村龍二委員長に詰め寄り、護衛役となっていた大仁田厚の髪をつかみ頭を殴りつけた。マスコミが、この実力行動シーンを写真で大きく報道したため、与党側は「パフォーマンスだ」「売名行為だ」などと批判。これに対し森は「多数決の原理だけで強行採決するのは、民主主義を無視したやり方」だとし「これでは民主主義ではない」と応酬した。自由党の小沢党首も森を「我々の闘士」と持ち上げるなど、院内外で話題となった。ちなみにこの日の採決について社会民主党の福島瑞穂議員は「討論も採決も読み上げておらず無効だ」と述べたが、松村委員長は記者会見で「(採決の)手続きに瑕疵(かし)はなかった」と語り、翌7月26日未明の参議院本会議で成立、8月1日に公布され即日施行となった。
[編集] 本会議、委員会質問
- 2001年の初当選以来、国会での本会議代表質問は計9回、委員会質問は計124回にのぼっており、これは同期議員の中で最も多い。
[編集] 本会議での戦後最長演説(フィリバスター)
- 平成16年(2004年)6月4日の参議院本会議では、年金制度改革関連法案の成立を阻止するため、国井正幸厚生労働委員長解任決議案の提案趣旨説明に立ち、3時間1分にわたるフィリバスター(長時間演説による議事引き延ばし抵抗戦術)を行なって、戦後の国会における最長演説記録を大きく更新した。民主党の大塚耕平議員による解任決議案の賛成討論も2時間7分に及び、倉田寛之議長が何度も「簡潔に常識の範囲でやってください」と注意。終了後、記者団の質問に「これから本題に入るところだった。まだ数時間やるつもりでした」「選挙で一日マイクを握ってても大丈夫ですから」と答えている。野党側はフィリバスターのみならず、牛歩戦術なども利用して議事妨害したため、同日に与党が予定していた年金関連法案の可決、成立は、翌日の2004年6月5日にずれ込んだ。因みにそれまでの最長記録は、1999年8月11日の参議院本会議で民主党の参議院議員・円より子が通信傍受法案採決に抵抗するため行なった2時間8分だった。(ただし、日本の憲政史上の最長フィリバスターは1929年(昭和4年)、武富濟の5時間30分である。)
[編集] 拉致議連活動
- 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会の委員長。
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)副幹事長。
- 2005年6月25日、拉致被害者家族連絡会と拉致議連の合同訪韓において、1997年に北朝鮮から亡命した黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)・元朝鮮労働党書記と面会した。このとき森ゆうこは途中退席し、当時拉致議連幹事長であった西村眞悟の許可をえて、「個別の具体的なことは知らないが、(死亡とされた被害者は)非常に重要な機密を知っているがために、北朝鮮側が『死んだ』という発表を行った可能性が強い。全員が死んでいるとは考えられない」とのファン・ジャンヨプの発言をマスコミに公開した(この会談の内容はその後、内閣政府に提出されている)。なおこの森発言は、当時拉致議連の事務局長であった平沢勝栄によって訂正されているが、この平沢発言に対して「平沢氏が会談の内容を独占してメディアに取材させるために行った虚偽の発言」と主張する救う会関係者もいる。
後日、混乱を起こしたことにより平沢は、拉致議連総会において森に謝罪した。(ファン・ジャンヨプが発言した内容が真実であることは内閣・政府に提出した会談の内容を読めば確認できる。)
- 2006年10月11日、参院予算委員会における森の質問で、北朝鮮拉致被害者支援の立場から、拉致被害者が、北朝鮮の国民と家族に向けてメッセージを放送する短波ラジオ「しおかぜ」を支援するように参議院で提案した。この提案は了承され、政府よりNHKに「しおかぜ」への援助要請が行われる事となった。
- しかし先の提案の直後に、質問当日に初めて目にした週刊現代の「安倍晋三は拉致問題を食い物にしている」という記事を紹介し質問した事から、安倍首相の怒りを買い、一部議員から批判され、同年2月より起こった、いわゆる堀江メール問題における永田寿康の言動とも絡めて、「まだ民主党は情報の正誤の確認もろくに出来ないのか(週刊誌を情報源にしているのか)」と批判する声も出た。この発言に対して、自民・公明両党は同月13日、懲罰動議を参議院議長に提出した。しかし数日後、自民党が懲罰動議を取り下げた。
[編集] 政治的主張
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 森ゆうこ公式サイト(公式サイト)
- 民主党新潟県連ウェブサイト