森乃福郎
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森乃 福郎(もりの ふくろう)は、上方落語の名跡。当代は2代目。代々の出囃子は「獅子舞(大阪名物)」。
三友派結成の立役者の一人・初代笑福亭福松の直系であり、本来の亭号は「笑福亭」であったが、初代が「森乃」に改めた。
[編集] 初代
初代 森乃福郎(1935年9月3日 - 1998年12月27日)は、上方噺家。本名は仲川 吉治(なかがわ よしはる)。享年64。出囃子は『獅子』。
先斗町の御茶屋の息子に生まれる。京都府立鴨沂高等学校卒業後、1956年4月に3代目笑福亭福松(前名は2代目文の家かしく、三友派で活躍した2代目桂文之助の実子)に入門、笑福亭福郎を名乗る。1961年、藤山寛美の命名で森乃福郎に改名し、終生この名で通した。師の実父の名跡であり、福郎自身も憧憬を抱いていた3代目桂文之助を1987年に襲名する計画が、所属する松竹芸能で立ち上がっていたが、同時に2代目笑福亭松翁を襲名する予定であった6代目笑福亭松鶴が前年に亡くなったため、立ち消えになっている。
入門早々からテレビ番組「23時ショー」、「森乃福郎・田辺靖雄のお昼にあいましょう」、「スタジオ2時」やラジオ番組「お早うキンキ、ハイハイ福郎です」、「ポップ対歌謡曲」等の司会者として、また漫才の上方柳次・柳太とのユニット「大阪爆笑三人組」として活躍。3代目桂米朝と並んで落語家タレントの草分け的存在であった。
1989年頃から体調を崩し片肺を摘出してからは一線から退き、その後入退院を繰り返し、1998年、肺炎併発による呼吸不全で死去した。
落語家としては、『滑稽清水』『太閤の猿』『大丸屋騒動』『半分垢』などの古典落語の珍品や、『指南書』『象の足跡』『アメリカ人の恋』など師の実父・2代目桂文之助が作った新作落語をかける事が多く、演じた噺の中には筒井康隆が作った『妊娠』のような異色作もある。
競馬ファンでも知られ、1969年より関西テレビ・テレビ西日本の「競馬中継」の司会者を長く務めた他、馬主にもなっている。馬主としての勝負服模様は「黒・黄星散・袖水色縦縞」、所有馬の冠号は「―ハット」。
[編集] 2代目
2代目 森乃福郎(1948年8月9日 - )は、上方噺家。本名は山田 信悟(やまだ しんご)。京都府出身。所属事務所は松竹芸能。出囃子は『獅子舞』福三時代は『牛若丸』。上方落語協会会員。
同志社大学に入学後は喜劇研究会に所属。卒業後、1972年に初代森乃福郎に入門。前名は3代目笑福亭福三。2000年に2代目福郎を襲名。
入門3年目から新作落語を手がけ、定期的に新作落語中心の落語会「新撰落語もぎた亭」を開催。古典落語においても、初代福松や2代目文之助の流れを汲む演目や、滅んでいた演目の発掘・復活を進めている。
弟子には森乃石松がいる。
[編集] 出典
- 「ビクター落語 上方編 初代森乃福郎」ライナーノート 解説前田憲司
- 大盛りの福郎 - オフィシャルHP
- 協会員プロフィール:森乃 福郎 - 上方落語協会公式プロフィール
- 『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』(天満天神繁昌亭・上方落語協会編、やまだりよこ著、出版文化社、2006年(平成18年)、ISBN 4-88338-351-2)