桜井章一
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桜井 章一(さくらいしょういち、1943年8月4日 - )は、東京都下北沢生まれの雀士である。通称「章ちゃん」。
大学生の頃に麻雀を覚え、その半年後に大金を賭けて行なわれる麻雀の代打ちとしてデビューをする。現役時代(覚えてから20年間)は新宿を主な活動地としていた。20年間無敗を自称し、プロ時代は「宿の桜井」(新宿の意)と呼ばれ、現在も「雀鬼(じゃんき)」の異名をとる。20年間無敗の伝説は、Vシネマ(清水健太郎主演)や漫画の原作となっている。
代打ち引退後の1988年3月28日に「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開設。1991年に「雀鬼会」という組織を作り、自身が考案した「雀鬼流」という打ち方を指導している。牌の音は下北沢道場(本部)と町田道場がある。以前札幌に牌の音2号店があった(現在は閉店)。なお、雀鬼流の指導者としても引退をほのめかしており、近年は牌に触れないことも多い(近代麻雀での連載より)。
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[編集] 裏プロ時代
桜井の著書によると、代打ちの世界では暴力的な脅しが付き纏っていたという。刃物や銃を突きつけられる、家族や友人に脅しをかけられるなど、危険と隣り合わせであったという。代打ちの前には眠ることも食べることも出来なくなるくらいの緊張や恐怖もあったという。勝負中に体温が39度近くになる「勝負熱」などのエピソードも語っている。
もっとも、本当に「代打ち」という裏家業が実在したのかは、桜井本人以外に証言者も証拠もない。雀荘レベルの麻雀(素人が混ざる場)ではトップを取ったり取らなかったりして遊んでいたという。
桜井が語る裏プロ時代のエピソードは、以下のようなもの。
- リーチに100%の確率で1発で意図的に振込み大金をばら撒く
- 勝ちすぎて山積になった大金を崩れないように足で踏みつけて押さえながら打つ
- 次にツモる牌を当てる(全員)
- 和がり形を見せられる前に点数を支払う
- リーチ宣言牌で必ず和了し、狙い打つ
- 半荘全て同じ役で和がり続ける(または同じ牌)
- 雀荘の大会で3900以下縛りプラス出場日数半分で優勝
[編集] 実力と評価
桜井が、20年間無敗だったと称する時代は全自動麻雀卓ではなく、手で牌をかき混ぜる「手積み」だった。当時の裏プロの麻雀では、積み込みやスリカエといった「裏技(裏芸)」(不正行為)が当たり前だったという。桜井も積み込みやスリカエなどの高度なイカサマ技術を身につけている。当然、こうしたイカサマをせずに打った場合の桜井の実力については意見が分かれる。三家和を見越した上で当たり牌を切り、流局に持ち込んだ件については、「リーチ麻雀論改革派」(天野晴夫著、南雲堂)で、批判的に検証された。
1984年の「近代麻雀」の誌上対局では、新進気鋭の若手プロだった金子正輝や飯田正人を、イカサマをせずに寄せ付けなかった。本人の弁や漫画などによると、20年間無敗は代打ちでの勝負の場のことであり、毎回トップを取り続けたのでもなく、定められたルール(10回戦など)のトータルで無敗だったということになる。
桜井と、彼が提唱する雀鬼流の麻雀の評価は様々で、多くのファンがいる一方、数学的、科学的根拠に乏しくデジタル (麻雀)雀士を中心に多くの批判的検証がなされている。しかし、漫画やDVD、著書などを通じて、麻雀界に多くの影響を与えている。「死にメンツ」という造語や、「和り止め」というルールは認知されている。また、著書で語られる精神論や哲学は、麻雀を打たない格闘家や会社経営者のファンもいる。
[編集] 戦術
桜井の戦術は、実戦性も高く、安藤満や片山まさゆき、馬場裕一も指導を受けていた。その戦術は以下の通り。
- ツモなり
- 迷彩はいらない
- 鳴きと面前は1対1
- マンガンあったら最終形
- ドラは聴牌か広いイーシャンテンになるまで切るな(後に、聴牌まで切ってはならないと規制が厳しくなる)
- 簡単に降りるな。守りよりも攻め重視
- いい牌勢で降りてしまうぐらいだったら、振り込んでしまったほうがいい
- 黙らずリーチに行け。相手を圧倒しろ(俺は13本指が折れてもリーチに行く)
- 他家の3人なんか見なくていい。いくら点数を稼いでも、常にトップに俺(桜井)がいると思って攻め続けろ
競技麻雀より、赤入りのフリー麻雀に適した戦術である。フリールールに近い最強位戦では、桜井の弟子がこの戦術で2連覇している。勢いや流れを殺さない雀鬼流は、短期決戦では大きな威力を発揮した。この攻撃的な麻雀スタイルは、阿佐田哲也、小島武夫時代の迷彩や決め打ち、面前手役偏重の麻雀戦術と異なるものである。
その一方、オカルト的な要素を批判されることがある。桜井は、運には「天運」と「地運」があると考え、「天運」とは最初から持っている運で、「地運」とは対戦中に努力で作る運だという。努力の積み重ねで地運が高まった状態を、「本流」と呼ぶ。努力の積み重ねで運を呼び込んむ麻雀観は、片山まさゆきなどの麻雀漫画に大きな影響を与えた。
桜井の地運論は、数学的合理論に立つデジタル雀士からは、「全自動卓では前局の段階から次局の山は卓内で詰まれているので、前局と次局になんら関連性はない」と批判された。これに対して片山まさゆきは、「オカルトとデジタルの対立は麻雀界に限ったことではなく、有史から続いている神秘主義と合理主義の対立である」と指摘している。
[編集] 阿佐田哲也との関係
かつて、阿佐田哲也や小島武夫が組織した「麻雀新撰組」とも関わりがあった。桜井をモデルにした漫画「shoichi」では、阿佐田が桜井を紹介する際に、「この人が本物のプロだよ」と言ったと描かれている。漫画の中での二人の対戦は、桜井が延々と和がり続け、阿佐田が「桜井さん、振りませんね」と言うまで相手を和がらせなかった、となっている。阿佐田原作の映画「麻雀放浪記」では、桜井が裏技指導をした。一方、桜井の著書で阿佐田を批判的に記述したことについては、一部のファンから批判の声がある。
[編集] 交友関係
- ヒクソン・グレイシー(格闘家)
- 平野早矢香(卓球選手)
- 鍵山秀三郎(株式会社イエローハット創業者・現相談役)
- 甲野善紀(武術家)
- 林田明大(陽明学研究家)
- 名越康文(精神科医)
- 鈴木銀一郎(ゲームデザイナー)
[編集] メディア・出演作品・著書
[編集] テレビ
- 桜井はマスコミ嫌いだったが、遠方のファンの中学生のためにTV出演した。この時は主に裏技(イカサマ)を披露した。内容は「大三元爆弾」を久米宏に入れたり、「多牌打ち」で瞬間的に待ち牌を変えロンをした。
- 牌の持ち方など独特の麻雀哲学を語った。その後、裏技(イカサマ)の「元禄積み」を披露した。
- 十人十色の答えということで、「合コンで盛り上がる方法」について映像インタビューで答えた。
[編集] ビデオ
- 麻雀で10倍勝つ方法(上下巻)
- 雀鬼シリーズ
[編集] TVゲーム
- 「桜井章一の雀鬼流麻雀必勝法」SAMMY(1995/9/14)
[編集] 著書
- 「勝利を求めない「無敗」の法則」竹書房 (2006/9/21)
- 「麻雀に愛される「感性」の法則―雀鬼流麻雀道場〈上巻〉」竹書房 (2006/07)
- 「JANKI-RYU 雀鬼流」竹書房 (2005/12)
- 「人生を掃除する人しない人」東洋経済新報社 (2005/3/11)
- 「雀鬼流 無敵の勝負論」青春出版社 (2004/12)
- 「20年間無敗の雀鬼が明かす「勝負哲学」」三笠書房 (2004/11)
- 「雀鬼流 勝負牌の選び方 選んで良い牌悪い牌―20年間無敗の雀鬼・桜井章一が選ぶ究極の何切る!?」竹書房 (2004/11)
- 「運に選ばれる人 選ばれない人」東洋経済新報社 (2004/2/27)
- 「我れ、悪党なり―20年間無敗の雀鬼、日々を語る」竹書房 (2004/02)
- 「逆境を乗り切る方法 瞬間力―「20年間無敗」の雀鬼に訊く93の質問」竹書房 (2003/12)
- 「強さの奥義―雀鬼流・人生道場」青春出版社 (2003/01)
- 「なぜあの人は強いのか」東洋経済新報社 (2002/09)
- 「無敗の手順―雀鬼・桜井章一の究極奥義〈2〉」竹書房 (2001/05)
- 「悪戯の流儀―雀鬼流・人生必勝の手順」青春出版社 (2001/03)
- 「無敗の手順―雀鬼・桜井章一の究極奥義」竹書房 (2000/07)
- 「超絶〈2〉雀鬼流麻雀の全て 心温かきは万能なり」竹書房 (1999/12)
- 「心温かきは万能なり―桜井章一箴言写真集」竹書房 (1999/08)
- 「雀鬼流の行動哲学―「狂」の時代を回避せよ」三五館 (1998/09)
- 「雀鬼に訊け―20年間無敗の奥義に迫る!!」竹書房 (1997/10)
- 「雀鬼流。―桜井章一の極意と心得」三五館 (1996/05)
- 「超絶―真の強者になるための麻雀戦術論」竹書房 (1995/08)
[編集] 参考文献
- みやわき心太郎「マルヒ牌の音ストーリーズ」シリーズ 竹書房
- 谷口亜夢「雀鬼サマへの道」シリーズ 竹書房
- 近代麻雀ゴールド 竹書房