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桓温 - Wikipedia

桓温

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桓温(かん おん 312年 - 373年)は中国東晋政治家軍人は元子。軍事的成功により、東晋を牛耳り、禅譲を目論んだが周囲の反対に逢い失敗した。息子は桓玄

目次

[編集] 略歴

譙国龍亢(現在の安徽省懐遠県。譙はごんべんに焦)の人で、北来の名門貴族の出身である。父の桓彝(かんい)は明帝の元で王敦の乱鎮圧に功績を挙げたが、蘇峻の乱の時に戦死した。殺害者は江播という人物であったが、三年後に江播が死去した時、当時18歳だった桓温は弔問だと偽って江家に乗り込み、その息子三人を殺して父の仇を討ったという。明帝の娘である南康長公主を妻にむかえ、琅邪太守徐州刺史と昇進を重ねた。

345年長江中流域を支配する西府軍団の長であった庾翼が死去すると、その後任として安西将軍・荊州刺史に起用され、武昌に鎮した。強大な軍事力を握り、実力者となった桓温は、347年に四川の成漢を滅ぼして声望を高める。

この桓温の伸張に危機感を覚えた会稽王・司馬昱(後の簡文帝)は桓温の「竹馬の友」である殷浩を登用し、桓温に対抗させるべき殷浩を北府軍の長に就けた。352年、殷浩は東晋の悲願である北伐を上奏して認可され、北に軍を進めて許昌にまで至ったが、ここで部下の反乱に逢い、の姚襄の軍に敗れて撤退した。桓温は戻った殷浩を弾劾して失脚に追い込んだ。

[編集] 北伐

桓温は後趙冉閔によって混乱している事に乗じて北伐を決行し、356年西晋の旧都洛陽を奪還した。桓温は朝廷に対して洛陽への遷都を主張したが、これは受け入れられなかった。洛陽遷都についてはほとんどが反対したように当時の状況ではまず無謀なことであり、桓温自身も恐らくはそう考えていたと思われ、自分の功績を誇り、朝廷から譲歩を引き出すためにこのような事を言ったと考えられる。

北伐・洛陽奪還という東晋の悲願を一時的にではあるが実現した桓温は、帰国後にこの功によって大司馬・都督中外諸軍事となり、東晋の実権を完全に掌握した。

[編集] 土断

363年には土断を実行する。これは亡命政権である東晋では北から逃れてきた流民と元からこの地にいた人間とが混在していた。しかしこれらの流民は税役逃れのために戸籍に登録される事を逃れる傾向があった。そこで流民を現在の居住地に住む者として戸籍に登録し、税と兵役の義務を課すのが土断である。東晋の約100年の歴史の中で土断は記録のあるものだけでも9回行われているが、桓温によるものはその中でも規模・徹底性ともに最大級の物で、三月の庚戌に行われたので庚戌土断と呼ばれる。この土断は財政に寄与する所が極めて大きかったとされる。

[編集] 晩年

その後、北では前燕が勢力を拡大し、洛陽が奪われた。369年、桓温は前燕に対する北伐を行うが、前燕の慕容垂の軍に枋頭(現在の河南省浚県)で大敗する。

これによって失墜した権威を回復するために、371年司馬奕に変わって司馬昱(簡文帝)を擁立する、簡文帝は翌年に病死する。簡文帝は臨終に際して桓温に禅譲しようとも考えるが、謝安らの反対によりそれを取りやめ、桓温に対して「皇太子(孝武帝)を補佐して欲しい。諸葛武公(諸葛亮)・王丞相(王導)(いずれも幼帝を補佐し、皇位を奪わなかった人物)のように。」と遺詔した。

それにもかかわらず桓温は禅譲を目指し、朝廷に対し九錫(禅譲の前段階である家臣に対する九つの特典)を要求したが、謝安らによる引き伸ばしの前に実現せず、373年に死去した。

その後、東晋は謝安が政権を握り、淝水の戦いの勝利を挟んで、桓温の息子・桓玄による禅譲が実現するが、これも三ヶ月で頓挫した。

[編集] エピソード

  • 「竹馬の友」と言う言葉は、殷浩が失脚したときに「殷浩とわしとは子供の頃、竹馬で遊んでおったが、いつもわしが乗り捨てた竹馬に殷浩が乗って遊んでおった。」と言った(『晋書』巻七十七、殷浩伝)というのが原典である。この話では現在の「とても仲が良い幼馴染」という意味とは逆で互いの上下関係を示しているようである。また竹馬(ちくば)は「タケウマ」の事ではなく、切った竹を馬に見立てて乗馬の真似事をする遊びであったようである。
  • 「断腸」という言葉について、「桓温が蜀に入る際に兵士の一人がの子供を捕まえ、それを追いかけてきた母猿は百里あまりも追いかけた後で死に、腹を割いてみると悲しみのあまりがねじ切れていた。桓温は怒ってこの兵士を罷免した。」(『世説新語』黜免第二十八)というエピソードがある。(類似の話は『搜神記』巻二十にも見える。)
  • 「既に後世に芳を流す能わず、復た臭を万載に遺すに足らざるか」(『晋書』巻九十八、桓温伝)という語でも有名である。ただし、 『資治通鑑』(巻第一百三、簡文帝 咸安元年)や『十八史略』(巻四、東晋)では、「男子、芳を百世に流すことあたわずば、また臭を万年に遺すべし」と作る。


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