枝幸町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
枝幸町(えさしちょう)は、北海道最北の宗谷支庁の東部に位置する町である。毛がにの漁獲高日本一。毛がにの旬である毎年夏には、枝幸かに祭りが開催され、多くの人々で賑わう。
町名の由来は、枝幸町によれば[1]アイヌ語「esausi」(エサウシ/岬の意)によるとしている。知里真志保「地名アイヌ語小辞典」によれば、エサウシはesasi(エサシ/岬の意)のナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言。
目次 |
[編集] 地理
宗谷支庁の南東部に位置する。東部はオホーツク海に面する。海と山にはさまれた険しい地形で国道238号が南北に縦貫する。幌別川河口付近は湿原地帯。
西部(旧歌登町)は山岳が広がり、面積の8割が森林。内陸であることから冬季は非常に寒冷であり、しばしば道内の朝の最低気温でニュースに「歌登」の地名が登場する。
明治中期には、町内に金鉱床が発見され、金の採掘で賑わったことがある。その名残は今町内のウソタンナイ砂金採掘公園に見られる。
- 山: 函岳(1124m)、ポロヌプリ山(841m)
- 河川: 幌別川、徳志別川
- 岬: 北見神威岬、目梨泊岬、ウスタイベ岬、音標岬
[編集] 歴史
- 1878年 枝幸郡に枝幸・頓別・歌登・礼文の四村を設置。村名及び地番を制定する。
- 1891年 9月、枝幸外3カ村戸長役場が設置される
- 1909年 4月、二級町村制施行
- 1916年 4月、頓別村(現浜頓別町および中頓別町)を分村。
- 1923年 4月、一級町村制施行
- 1939年 9月、歌登村(のち歌登町)を分村。
- 1947年 10月、町制施行、(旧)枝幸町
- 1978年 開基100年記念式典が行われる
- 1998年 開基120年
- 2006年 3月20日、(旧)枝幸町、歌登町と対等合併し、(新)枝幸町が成立。
[編集] 行政
2006年3月20日に、旧枝幸町と、隣接する旧歌登町が対等合併し、現在の新たな枝幸町が誕生した。合併まで経緯は、旧枝幸町と旧歌登町が法定合併協議会を設置、2006年3月20日をもって新設合併を行い新町名を枝幸町とすることで合意し2004年12月14日に調印。同月21日に両町議会で合併関連議案を可決した。2005年1月20日に合併申請書を提出、同年3月24日の道議会で合併議案が可決、2006年3月20日合併。
[編集] 国・道 出先機関
- 国
- 自衛隊旭川地方連絡部枝幸募集事務所
- 稚内公共職業安定所枝幸職業相談室
- さけます資源管理センター天塩支所徳志別事業所
- 宗谷森林管理署 枝幸森林事務所・音標森林事務所
- 宗谷森林管理署 歌登森林事務所・志美宇丹森林事務所
- 稚内開発建設部 乙忠部除雪センター
- 稚内開発建設部 稚内港湾事務所枝幸分駐所
- 道
- 廃止された出先機関
廃止前 廃止後(統合先)
- 稚内公共職業安定所枝幸分室 → 稚内公共職業安定所
- 稚内開発建設部枝幸道路維持事業所 → 浜頓別道路事業所
- 稚内開発建設部枝幸農業開発事務所 → 稚内農業事務所
- 稚内開発建設部枝幸港湾開発事務所 → 稚内港湾事務所
- 稚内地方気象台北見枝幸測候所 → 稚内地方気象台
- 枝幸営林署 → 宗谷森林管理署
注:枝幸・音標・歌登・志美宇丹の森林事務所は宗谷森林管理署に再編時も廃止対象から除外。 稚内公共職業安定所枝幸相談室は委託職員がいるのみで稚内公共職業安定所の事務官は1ヶ月に1度のみ来る
[編集] 経済
[編集] 産業
毛蟹の産地として知られ、日本一の漁獲量を誇る。また、鮭の水揚げ産地として市場関係者には名が知られ、脂がのったメヂカ鮭も水揚げされる。水揚げ金額は道内でも屈指の水準を誇る。近年はホタテ稚貝撒き漁業の漁獲高が伸び、ホタテ貝柱を遠く中国やフランス、北米などに輸出している。
最近、最も近い大消費地の札幌でも、藻岩山展望台、札幌駅や大通り付近のレストランやホテルなどで枝幸産のホタテを使った料理がメニューに加えられるようになり、品質が認知されつつある。また、東京でも、生協などでホタテや毛蟹、鮭などが取り扱われ始めている。
[編集] 立地企業
- 枝幸漁協
- 北見枝幸農協
- JA歌登町
- 宗谷新聞社枝幸支局
- 北海道新聞社枝幸支局
[編集] 郵便局
- 枝幸郵便局
- 歌登郵便局
- 乙忠部郵便局
[編集] 地域
[編集] 教育
- 高等学校
- 道立高等学校
- 中学校
- 枝幸、枝幸南、歌登、志美宇丹(小学校併設)、本幌別(小学校併設)
- 小学校
- 枝幸、岡島、音標、乙忠部、問牧、風烈布、目梨泊、山臼、歌登、志美宇丹(中学校併設)、本幌別(中学校併設)
[編集] 交通
[編集] 空港
町内に空港はなく、下記の空港が最寄りである。
[編集] 鉄道・バス路線
- 国鉄興浜北線が通っていたが1985年に廃止され、以降、町内に鉄道路線はない。また、1929年から1971年までは歌登町営軌道が敷設されていた。
- 宗谷本線の美深駅から仁宇布駅まで開通していた美幸線は、興浜北線北見枝幸駅まで開通する計画であったが、未成線のまま廃止された。また、興浜北線北見枝幸駅と興浜南線の雄武駅との間は、興浜線として建設が進められていたが、工事は凍結され、未開通区間を残したまま興浜北線・南線とも廃止された。
- 札幌市・旭川市から宗谷バスと道北バスによる都市間バス特急えさし号が運行されている。宗谷バスは、浜頓別町・雄武町・旧歌登町域への路線バスも運行している。
[編集] 道路
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] 文化財
- 北海道目梨泊遺跡出土品(重要文化財(国指定))(オホーツクミュージアムえさし蔵)
- ホロナイポ遺跡出土の遺物(北海道指定有形文化財)(オホーツクミュージアムえさし蔵)
[編集] 観光
[編集] 祭事
- 枝幸かにまつり
- 毎年7月第1土曜日、日曜日に開催
- 2007年は7月7日と8日に開催
- 毛蟹をはじめとする新鮮な海の幸を買ったり食べたりできる出店、毛蟹早食い競争、毛蟹があたる抽選会、毛蟹の特売、歌謡ショー、地元ヨサコイチーム夢想漣えさしの踊り、その他数々のアトラクションあり。
- 全国各地から数万人の観光客が訪れる年々盛大になっている。
- 毎年7月第1土曜日、日曜日に開催
[編集] 同音の町
檜山支庁に同じ読みの江差町がある。区別のために枝幸町は「北見枝幸」、江差町は「檜山江差」と呼んで区別することがある。また、テレビやラジオ等では枝幸町は「道北の枝幸町」、江差町は「道南の江差町」と呼んで区別する。
[編集] 出身有名人
- 古川年正 (財)全日本スキー連盟 理事、第11回冬季オリンピック札幌大会アルペン競技出場
- 戸沢真司 ヤマハレーシングチーム所属
- 全日本スノーモービル選手権A級チャンピョン(S1:1995/1998, S2:1996/1997)
- 全日本スノーモービル選手権スーパークラスチャンピョン(2001,2002)
[編集] 北海道最初の公立図書館
明治29年(1896年)、国内および世界各国から枝幸に皆既日食の観測隊が次々と訪れた。米国の天文学者デビッド・トッド博士を隊長とする一行も枝幸に観測小屋を建設し皆既日食を待ち構えていたが、当日は曇天で観測は失敗した。それにもかかわらず当時の枝幸の人々が非常に協力的であったことにトッド博士は感激、世話になったお礼として百科事典や文学書などを何冊も寄贈し、何年も続いた結果千冊余りにものぼった。人々は寄贈された図書を後世に読み継がせようと明治36年(1903年)に道の認可を得て北海道最初の公立図書館を枝幸に誕生させた。昭和15年(1940年)の大火で全焼したが、地元の医師の発起と図書の寄贈により昭和53年(1978年)に再建され、今日に至る。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
---|---|
市部 | 稚内市 |
宗谷郡 | 猿払村 |
枝幸郡 | 浜頓別町 | 中頓別町 | 枝幸町 |
天塩郡 | 豊富町 |
礼文郡 | 礼文町 |
利尻郡 | 利尻町 | 利尻富士町 |