東濃鉄道駄知線
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駄知線(だちせん)とは、岐阜県土岐市の土岐市駅から東駄知駅までを結んでいた東濃鉄道の鉄道路線。
建設沿線の主産業である陶磁器製品を運搬する目的で敷設された。当初、国鉄中央本線建設時に現在のルートに対し、陶磁器産地ルート「大井(現恵那)~駄知~下石~笠原~瀬戸」に変更する運動が駄知を中心に激しく行われたが結局現ルートとなり、中央線につつながる陶磁器運搬のための鉄道路線がほしかった駄知町が計画した。当初駄知から一番近い瑞浪駅に接続する路線を計画したが、資金不足で許可が下りず、同じ陶磁器産地の下石町などの協力を得て現ルートが建設された。旅客営業も行っていたが、集中豪雨による鉄橋の流失で営業休止に追い込まれ、そのまま廃止となった。同鉄道は笠原線も運行していたが、後に笠原線も廃止となり、鉄道事業から完全に撤退することとなった。しかし、社名を変更せずに、継続してバス運行事業を行っている。現在駄知駅は東濃鉄道土岐営業所、東駄知駅・下石駅はバスロータリー、新土岐津駅は東鉄の月極駐車場として利用されている。
駄知線で使用されていた電車のうち、モハ100形2両は日本で唯一の東芝製電車として知られる。同車は駄知線廃止後高松琴平電気鉄道に譲渡され、70形として2000年まで使われていた。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):10.4km
- 軌間:1067mm
- 駅数:7駅
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式(土岐市~駄知間)、スタフ閉塞式(駄知~東駄知間)
[編集] 歴史
- 1922年(大正11年)1月11日 - 駄知鉄道として、新土岐津駅~下石駅開業。非電化で列車は蒸気機関車による牽引。
- 1922年(大正11年)10月10日 - 下石駅~山神駅開業。
- 1923年(大正12年)1月22日 - 山神駅~駄知駅開業。
- 1924年(大正13年)9月28日 - 駄知駅~東駄知駅開業。全通。
- 1928年(昭和3年)3月1日 - 国鉄土岐津駅へ乗り入れに伴い0.2km延伸。新土岐津駅廃止。
- 1929年(昭和4年)4月15日 - 土岐津駅~土岐口駅間に神明口駅開業。
- 1944年(昭和19年)3月1日 - 笠原鉄道などと合併し、東濃鉄道設立。駄知線となる。
- 1950年(昭和25年)7月 - 全線電化。
- 1965年(昭和40年)7月1日 - 国鉄とともに、土岐津駅を土岐市駅に改称。
- 1972年(昭和47年)7月13日 - 集中豪雨により、土岐市駅~神明口駅間の土岐川鉄橋が流失。同線は全線で営業休止。資金難により復旧困難となる。
- 1974年(昭和49年)10月21日 - 営業休止状態のまま、廃止。
[編集] 車両
電化後は下記の電車・電気機関車が使われていた。
- モハ100形(101・102) - 電化時に新造された東芝製の電車。
- モハ100形(103)、クハ200形(201・202) - 南武鉄道買収国電モハ100形の払い下げ車。
- 廃線後は5両とも高松琴平電気鉄道へ譲渡された。詳しくは高松琴平電気鉄道70形電車 (2代)を参照のこと。
- モハ110形・クハ210形(111-211・112-212)
- 輸送力増強の為増備された西武の川造タイプ、モハ151形・クハ1151形の譲受車で、モハ110形-クハ210形の2両編成。廃線後は111編成が総武流山電鉄へ譲渡されモハ1002-クハ55、112編成が親会社である名鉄へ譲渡されモ3791-ク2791となった。
- ED1000形電気機関車(1001)
- 電化時に新造された東芝製の凸形電気機関車。但し、多くの私鉄に導入された東芝戦時型と異なりボンネットは箱形R付き。路線と運命を共にしている。
[編集] 駅一覧
(廃止時)
土岐市駅 - 神明口駅 - 土岐口駅 - 下石駅 - 山神駅 - 駄知駅 - 東駄知駅
[編集] 接続路線
- 土岐市駅:中央本線