李海ウォン
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本来の表記は「李海瑗」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
李海瑗 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이해원 |
漢字: | 李海瑗 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
イ・ヘウォン |
ラテン文字転写: | I Haewon |
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李 海瑗(イ・ヘウォン、1919年 - )は李氏朝鮮(李朝)の旧王族の一人で、大韓帝国皇位請求者。大韓帝国皇帝高宗の第5皇子義親王李堈と側室の間に次女として生まれる。現在のところ遺族の中で最年長で、李王家第30代当主を主張して、甥の李源と争っている。
目次 |
[編集] 出生と結婚
1919年京城府鍾路区の寺洞宮に生まれ、鐘路小学校に通った後、雲峴宮に暮らした。1936年京畿高等女学校(→旧制中等教育学校の一覧#京畿道、現・京畿女子高等学校)を卒業し、慶應義塾大学卒の李昇圭と結婚して三男一女を儲けたが、李昇圭は朝鮮戦争中に北朝鮮に拉致されてしまった。
[編集] 皇位継承
2006年9月29日、李朝の末裔10人余りで結成された団体、大韓帝国皇族会は、先代当主李玖の死を受けて皇位継承式を開催し、李海瑗を象徴的な女帝に推戴した。李海瑗は皇位継承式の中で「大韓帝国女皇」を称し、大韓帝国皇室の復活を宣言した。一方、大韓民国政府はこれを黙殺している。
[編集] 世論
李王家の内部では、全州李氏大同宗約院常任理事会の議決で義親王李堈の孫・李源が2005年に李玖の養子として入籍し、すでに皇嗣孫の称号を受けていたことからこの推戴・李王家当主就任に対し全州李氏大同宗約院をはじめ、わが皇室愛の集まり、大韓皇室再建会など他の李朝の子孫の団体は、李海瑗の推戴を無効として反対の立場を表明している。また、韓国国内では皇室を韓国文化としてその復活に賛成する立場もあるが、日本の台頭を許した皇室の責任を果たすべきである、あるいはすでに消滅した皇室の復活運動をするのは時代錯誤である、という反対の立場も多い。
[編集] 関連項目
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