替え唄メドレー
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替え唄メドレー | ||
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嘉門達夫 の シングル | ||
リリース | 1991年5月21日(初版。「-2」以降は割愛 | |
ジャンル | J-POP | |
レーベル | ビクター→DAIPRO-X | |
嘉門達夫 年表 | ||
カラオケNo.1 (1991年) |
替え唄メドレー (1991年) |
替え唄メドレー2 (1991年) |
替え唄メドレー(かえうためどれー)は、日本の歌手嘉門達夫のシングルである。ここでは、嘉門達夫のネタである「替え唄メドレー」全体についても記述する。
目次 |
[編集] 解説
嘉門達夫のレパートリーの一つである替え歌メドレー集である。嘉門の楽曲の中で最大のヒットを記録した。1991年の第1弾が好評であったため、同年に「替え唄メドレー2」を、翌年には完結編となる「替え唄メドレー3・完結編」を世に送り出した。その後も続編を発表し続け、現在第20弾まで発売されており、シングル以外のアルバム収録もいれると22曲も制作されている。
[編集] 著作権問題などに関してのエピソード
「替え唄メドレー」シリーズは多数の楽曲を扱っており、ライブで歌うなりCDリリースする場合は原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)の許可を得ている。さらに替え唄の歌詞の中に実在の人物の名前や、著作権に関係ある名前が登場した場合、その人物・原著作権者にも許可を得ている。逆に「著作権処理が困難」「作詞・作曲の本人が拒否」「歌詞に氏名が出てくる本人が拒否」などの事情によってCD化には至らず、ライブのみで披露されたり、さらにライブですら一切歌うことが許されなかったお蔵入り曲も多数ある。嘉門本人も「替え唄メドレーで一番大変なのは許可をとること」だと発言したことがある。
許可を出した有名な人物としてサザンオールスターズ(桑田佳祐)や小室哲哉が挙げられる。この2組は非常に協力的であり、嘉門は「サザン替え唄大メドレー」「TK替え唄メドレー」というシングルも発売したことがある。その他、米米CLUBは『どうぞどうぞ使ってください』と快く許可が降りた。また、嘉門の高校の後輩である槇原敬之からは、自作曲を替え唄メドレー取り上げてもらうよう、自ら嘉門にリクエストするケースもある。
許可が出なかった例としてドリームズ・カム・トゥルーがあり、彼らの曲は許可が降りていない。これは、売れない頃の仕打ちによる因縁だとも言われている。その他、かつて嘉門自身も在籍していたコロムビアに所属する歌手たちの曲も、ほとんど使用の許可が取れなかった。大相撲の力士の名前を織り込んだ替え唄も多数あったが、日本相撲協会から許可が下りずCD化されなかった。また、遅れて許可が下りるケースもあり、沢田知可子の『会いたい』の替え唄は「替え唄メドレー3」に入れる予定であったが『当時は大ヒットしていたから今は止めてくれ』と言われてやむなく「帰ってきた替え唄メドレー4」に入れた。
CMソングの替え唄は、企業イメージや商品イメージを損なうものとして、許可をもらうのが難しいという(嘉門本人談)。ローソンのCMソング「開いてます、あなたのローソン」の替え唄として「閉まってます、田舎のローソン」という内容の曲をローソンに提示したところ、「うちは田舎でも開いてます!」と一喝されたのは有名な話である。また、味の素「ほんだし」のCMソングを替え唄にした時には、CDリリースの許可を得ると同時にCMソング自体が変更された。
また、歌詞中に登場した人物・著作権の許可のエピソードとして、以下のものがある。岸田敏志の「きみの朝」のサビをムーミンに結びつけて「河馬だ」と歌おうとしたところ、岸田の了解はとれたが、ムーミン原作者のトーベ・ヤンソンから「ムーミンは河馬ではない」と一蹴された。また、サザンオールスターズの楽曲「チャコの海岸物語」の替え唄の歌詞に中井貴一が登場したときの話で、CD化に当たってサザンオールスターズの方からは快く許可を貰ったが、中井の事務所からは許可が降りなかった。後日、嘉門は中井本人と会う機会があり、その場で本人に直接交渉したところ、許可を貰えた。
洋楽の替え唄についても、日本語歌詞とそのニュアンスが作者に理解してもらうのが難しいため、発売には至っていない。ビートルズの「イエロー・サブマリン」のサビ部分を「理科室の蛇のホルマリン」としたが、相手側には伝わらなかった。また、バースデーソングのサビの部分を「履きまっせ、ク〜ツ〜…」としたものの原著作権者に意味が理解されなかった。
ライブではお蔵入り曲の一部を「没・替え唄メドレー」と称して歌うことがある。
また、1992年(平成4年)の第43回紅白歌合戦にて『替え唄メドレー~紅白バージョン~』を歌唱した際、出演歌手(特に北島三郎、南こうせつ、チェッカーズ、イルカ)の様々な表情が見られた。
[編集] シリーズ一覧
- 替え唄メドレー(1991年5月21日発売。セールス75万枚[1]を記録し、嘉門自身最大のヒット曲となる)
- 替え唄メドレー2(1991年9月21日発売)
- 替え唄メドレー3・完結編(1992年1月1日発売。初動12万390枚を売上げ、オリコン初登場3位となる。途中、光岡ディオンがDJスタイルで登場する他、荒井注もゲスト・ヴォーカルで登場する)
- 替え唄大メドレー(1992年1月1日発売のアルバム『天賦の才能』に収録。上記3作品の総集編)
- 帰ってきた替え唄メドレー4(1992年4月21日発売の『鼻から牛乳』のカップリング。これにも光岡ディオンがDJとして登場)
- デュエット替え唄メドレー(1992年12月5日発売。嘉門達夫・浅田美代子)
- 替え唄メドレー紅白バージョン(1993年3月24日発売の『GO!GO! スクールメイツ』のカップリング。エンディング部分のみNHK紅白歌合戦で歌われた歌詞と異なっている)
- サザン替え唄大メドレー(1994年9月21日発売。歌詞が微妙に異なるアルバムバージョンがある)
- TK替え唄メドレー(1996年4月24日発売)
- TK替え唄メドレー2(1996年9月28日発売)
- 新・替え唄メドレー(1997年3月21日発売。これ以後DAIPRO-Xレーベルに。同作の品番はDXDL-1で、同社の第1号タイトルでもある)
- 替え唄クラシックメドレー(1997年9月22日発売。「替え唄」とあるが、実際はクラシック音楽に詞を付けたもの。ロックのアレンジを加えたバージョン(カモメタルバージョン)が同シングルにカップリングで収録されている。)
- アニメ替え唄スーパーメドレー(1997年12月17日発売)
- ザッツ・替え唄メドレー(1998年8月5日発売)
- 替え唄メドレードラゴン(2000年1月21日発売)
- 童謡替え唄メドレー(2000年1月21日発売のアルバム『かもたつ』に収録)
- 替え唄メドレー2001(2001年4月21日発売)
- 特選・替え唄メドレー 〜DANCE MIX〜(2001年7月25日発売)
- CM替え唄メドレー(2001年10月24日発売。『サザン替え唄大メドレー』以来約7年ぶりに替え唄メドレーOPが使用された)
- THE ENKA替え唄メドレー(2002年3月21日発売)
- 青春フォーク替え唄メドレー(2003年1月22日発売)
- 替え唄メドレー2005(2005年10月21日発売)
- 生出し替え唄メドレー(2005年10月21日発売のアルバム『元気が出るCD』に収録)
- 続・アニメ替え唄スーパーメドレー(2007年4月25日発売)
- 生出し替え唄メドレー2(2007年10月24日発売のアルバム『「これさえあればゴハン何杯でも食べられる」と言って2杯で限界になっているアナタへ』に収録)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 新田一郎 - 嘉門が所属する代官山プロダクション社長。プロデュースや楽曲提供など。