日本福祉大学
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日本福祉大学(にほんふくしだいがく、英称:Nihon Fukushi University)は、愛知県知多郡美浜町奥田に本部を置く日本の私立大学である。1953年に中部社会事業短期大学として設立された。1957年に4年制大学に昇格。1983年に現在地に移転した。 一部の学生の間で非公式に呼ばれる大学の略称は日福(にっぷく)。
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[編集] 特色
法音寺によって福祉系の短期大学として創立され、運営法人名は「学校法人法音寺学園」だった。しかし1970~80年代にかけて革新勢力による学園の民主化闘争が行われ、法音寺の関係者は排除された。法人名も2003年に「学校法人日本福祉大学」と改称されて「法音寺」の名前が消え、現在は大学の関連はなくなっている。大学のキャッチフレーズは「みんなの大学」である。老人福祉施設や保育園などの関連施設は持っていない。なお、経営破綻した萩国際大学が「日本福祉文化大学」という類似する名称に変更しようとして話題になった。
設立当初は短大だったが、1957年に大学に改組され、1976年に経済学部を設置。1995年にはコンピュータ等を学ぶ情報社会科学部が設置されるなど、1990年代後半から学部・学科が矢継ぎ早に増設された。さらに、2008年度には現在の「4学部・8学科」から「6学部・9学科」へと増加されるなど拡大路線を取っている。ただ、学生数が減少していた情報社会科学部と高浜専門学校は10年余りで廃止されることとなり、福祉工学や介護などの健康科学部として再チャレンジすることとなった。
かつては全国各地から学生を集めていたが、1990年代後半から愛知県を含めた全国に福祉系大学・学部が急増したため、現在は知多半島の名鉄沿線からの学生が中心となっている。県外からの学生は主に知多半島の南端名鉄知多新線沿いの南知多町内海、美浜町奥田、武豊町の指定下宿や自治寮勢和寮に住んでいる。これらの地域は知多半島の中心地・半田市に比べて安い家賃で住める一方で、大学周辺に店や食堂、アルバイト先がほとんどない、サークルなどの大学間交流ができない、名古屋市内まで出るのに1時間半以上かかって難しいなど、学生生活の不便さが深刻な問題となっている。
大学は障害学生を多数受け入れており、学生にボランティアを奨励している。しかし、学生の希望者の減少したことと、最近まで最寄り駅にエレベータがなく、大学内に坂道や階段が多く起伏の激しい地形のため、車椅子の学生にとって危険なキャンパスであることが長年の課題となっており、学生自治会は大学側に「キャンパスのバリアフリー化」を強く要望し続けている。
東京福祉大学とともに福祉関連の資格取得者が多いことで知られる。多くの学生が卒業後に介護施設など福祉分野に従事しているが、夜勤や肉体労働など過酷な労働条件や低賃金によるワーキングプアへの懸念などの問題から、経済分野への就職を希望する学生が大半となっている。また、こうしたことが近年の急激な大学志願者の減少や定員割れの原因ともなっている。
[編集] 沿革
- 1953年 名古屋に中部社会事業短期大学が設立される。
- 1957年 中部社会事業短期大学を4年制の日本福祉大学社会福祉学部に改組
- 1958年 日本福祉大学附属立花高等学校を開校
- 1961年 女子短期大学部保育科を開設
- 1964年 女子短期大学部生活科増設
- 1973年 女子短期大学部生活科廃止
- 1976年 経済学部を開設
- 1980年 立花高等学校を日本福祉大学付属高等学校に改称
- 1983年 名古屋市昭和区から知多郡美浜町奥田に全面移転し美浜キャンパス開設
- 1985年 犀川スキーバス転落事故
- 1995年 情報社会科学部を半田市東生見町(亀崎駅付近)に開設
- 1996年 日本福祉大学高浜専門学校を開校。女子短期大学部廃止。経済学部に経営開発学科を開設。
- 2000年 社会福祉学部に保健福祉学科を開設。経済学部経営開発学科を改組(医療・福祉経営コースを開設)
- 2001年 通信教育部を開設
- 2003年 経済学部経営開発学科を改組し、福祉経営学部を開設
- 2004年 情報社会科学部が人間福祉情報学科・生活環境情報学科の2学科に再編成。社会福祉学部心理臨床学科を開設
- 2008年 高浜専門学校・情報社会科学部を募集停止して健康科学部に、保健福祉学科の一部と心理臨床学科が子ども発達学部に、国際福祉開発マネジメント学科が国際福祉開発学部として再編成される。
[編集] 組織
理事長:大沢勝 学長:宮田和明 副学長:加藤幸雄、足立浩
[編集] 美浜キャンパス
- 社会福祉学部
- 社会福祉学科
- 保健福祉学科
- 心理臨床学科(2008年より募集停止)
- 経済学部
- 経済学科
- 福祉経営学部
- 医療・福祉マネジメント学科
- 国際福祉開発マネジメント学科(2008年より募集停止)
- こども発達学部 (2008年創設)
- こども発達学科
- 保育専修
- 初等教育専修
- 心理臨床学科 (2008年社会福祉学部より移行)
- こども発達学科
- 国際福祉開発学部 (2008年創設)
- 国際福祉開発学科(2008年福祉経営学部より独立)
[編集] 半田キャンパス
- 2007年度新入学生まで(編入学は受け付ける)
- 情報社会科学部
- 人間福祉情報学科
- 生活環境情報学科
- 高浜校地
- 2008年度新入学生より
- 健康科学部
- リハビリテーション学科
- 理学療法学専攻
- 作業療法学専攻
- 介護学専攻
- 福祉工学科
- 健康情報専攻
- バリアフリーデザイン専攻
- リハビリテーション学科
[編集] 通信教育部
- 福祉経営学部
- 医療・福祉マネジメント学科
[編集] 研究科
[編集] 名古屋キャンパス
- 社会福祉学研究科(修士課程)
- 社会福祉学専攻 (通学制・通信制)
- 福祉マネジメント専攻 (通学制)
- 福祉経営・人間環境研究科(修士課程)
- 福祉経営専攻 (通学制)
- 国際社会開発研究科 (修士課程)
- 国際社会開発専攻(通信制)
- 福祉社会開発研究科 (博士課程)
- 社会福祉学専攻 (通学制)
- 国際社会開発専攻 (通信制)
- 福祉経営専攻 (通学制)
- 人間環境情報専攻 (通学制)
[編集] 半田キャンパス
- 福祉経営・人間環境研究科 (修士課程)
- 人間環境情報専攻 (通学制)
[編集] キャンパス と 交通アクセス
現在の美浜キャンパスは1980年代の全国での郊外移転ブームに乗って名古屋市昭和区のいりなか地区から移転した。 知多半島の先端部にある美浜町の内陸地帯にあって水田と山林、ため池に囲まれている。駅からキャンパスまでは急激な坂道であり、キャンパス内も起伏が激しく階段が多いため、学生が足腰を鍛えるのにはうってつけの立地である。カニが多数伊勢湾から上陸してキャンパスに現れることで知られる。なお、美浜町・南知多町合併問題のときには南セントレア市の名称が全国的に話題になり、美浜キャンパスを「南セントレアキャンパス」と表現することが学生の間で流行した。1985年に起きた犀川スキーバス転落事故をしのぶ友愛の広場があり犠牲者をしのんで木々が記念植樹されたが、50周年記念館に移植された。キャンパス内の名所としては人民広場、心臓やぶりの坂、人民の塔などがある。
美浜キャンパスの最寄り駅は 名鉄知多新線知多奥田駅 である。名鉄名古屋駅から急行で54分(富貴駅で知多新線に乗り換えまたは直通)、特急で43分(ただし、特別車利用の場合350円のミューチケットが必要)。乗換えを要しない急行、特急は、ともに1時間に約1本ずつ。
[編集] サークル活動
民青同盟の活動が活発で拠点校となっている。地域活動に根ざしたセツルメント活動には歴史と伝統がある。
[編集] 系列校(過去のものも含む)
- 日本福祉大学中央福祉専門学校(愛知県名古屋市) - 介護福祉士養成校、社会福祉士一般養成施設。
- 日本福祉大学高浜専門学校(愛知県高浜市) - 介護福祉士の養成校。三河高浜駅の近くにある。開校10周年を迎える2008年に廃止され、情報社会科学部が改編される福祉工学・介護・リハビリテーションなどを担う健康科学部に吸収される予定。
- 日本福祉大学付属高等学校(愛知県美浜町) 旧称は立花高等学校。知多半島南部から生徒が通学する。
- 日本福祉大学女子短期大学部(愛知県美浜町) - 生活科が設置されていたが廃止され、近年では保育科のみとなっていた。その後1996年に廃止され、同大学の社会福祉学部に吸収されたが、再び社会福祉学部から分離されて子ども発達学部として独立する予定。
[編集] 関連会社
- 株式会社NFU:大学が設立した人材派遣・施設管理会社。窓口業務、清掃、警備など。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注・参考文献
淺井圓道『鈴木修学先生の南無妙法蓮華経』(山喜房仏書林 2001.06) ISBN 9784796306782