日下部基栄
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オリンピック | ||
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女子 柔道 | ||
銅 | 2000 | 女子 57kg級 |
日下部 基栄(くさかべ きえ、1978年10月11日 - )は、日本の元柔道選手で、元福岡県警察本部警察官。シドニーオリンピック柔道女子57キロ級銅メダリスト。現役時代は大外刈りなどのパワフルな技を得意とした。現在は地元福岡でタレント・スポーツコメンテーターとして活動。身長160cm、体重57kg。
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[編集] 来歴
福岡県福岡市出身。子供の頃はネフローゼ症候群で幼稚園もほとんど行けず入退院を繰り返していた。小学校1年生の時に兄の影響で柔道を始め、初めて出た大会でいきなり優勝。柔道を始めてから、いつのまにか腎臓病が治ったという。
福岡市立東住吉中学校、福岡工業大学附属城東高等学校、純真女子短期大学(現・純真短期大学)卒業。中学時代には、全国中学柔道大会で3連覇を果たす。男女合わせても史上初であり、2007年現在唯一の記録となる。
順調なキャリアを重ねていたが、1999年5月、試合中に左膝の前十字靱帯断裂の重傷を負う。立ち上がれず畳を担架で退場することになり、シドニーオリンピック代表選考会への出場も絶望視された。しかしリハビリを続け、靱帯を糸で引っ張りボタンで止める処置を施し、2000年の選考会に出場。第一・第二次選考会とも勝ち抜き代表候補に決定、アジア大会でも結果を残しオリンピックへの出場が決定した。
迎えたシドニーオリンピック本大会では、3回戦で敗れたものの、敗者復活戦は全て一本勝ちという成績で銅メダルを獲得。12月には福岡国際で優勝。その後も2001年のミュンヘン世界選手権で3位に入り、フランス国際で優勝。2002年はフランス国際を連覇し、福岡国際で2度目の優勝を達成するなど、結果を残す。
2003年、再び左膝の靭帯を痛め長期離脱。翌2004年のアテネオリンピック選考会でも3位に終わるが、実績を考慮され代表候補に選ばれ、アジア大会で本大会出場を勝ち取った。しかし、本大会では日本人女子柔道では唯一メダルを逃した。
進退は膝の様子を見て決めるとし、オリンピック後に左膝を手術。しかし無理の結果か損傷状態は想像以上に悪く、2005年1月17日、現役引退を表明した。3月、福岡県警を退職。
- 2005年10月に12歳年上の会社員と結婚。2007年1月7日、女児を出産した。現在、テレビコメンテーターの仕事を再開。
[編集] エピソード
- 谷亮子とは、先輩後輩の間柄。また、高校の同級生にお笑い芸人のなかやまきんに君がいる。
- 2000年のシドニーオリンピックの頃から一部のインターネット上の電子掲示板で、「基栄タン」という愛称で親しまれ萌えキャラとして人気がある。
- 2ちゃんねるでは2000年10月に行われた毎日新聞と日経新聞の「シドニーオリンピックで感動したメダル」のネット投票で日下部を1位にしようと2ちゃんねらーによる投票の呼びかけが行われたことがある。結果、毎日では38,800票を獲得して2位、日経では333,579票を獲得して1位を記録した。
- 現在、FBS福岡放送のテレビ番組「夢空間スポーツ」「めんたいワイド」に準レギュラー出演中。
- 福岡の女性アームレスリング選手を取材した番組企画から2005年、一緒に全日本アームレスリング大会に出場し、-60キロ級でいきなりレフトハンド、およびライトハンド共に準優勝を遂げる。
- 時期はわからないが、FBS「ナイトシャッフル」において、カーリングについてスポーツとは認めない、という趣旨の発言をし、蔑視的だという批判の声もある。
- 福岡市が夏季オリンピックの招致運動を行った際は、招致推進の立場で様々なイベントに出席した。
- 「夢空間スポーツ」では、大分県にあるオートポリスサーキットで行われる「ママチャリレース」に“チーム夢スポ”の一員として参加しているが、2006年は参加を辞退。その理由として番組内で、妊娠したことを次のフレーズで明らかにした。
「今年は“チャリ”ではなく、“ママ”のほうに参戦します」 - 県警勤務時代、福岡県の「ドメスティック・ヴァイオレンス防止キャンペーン」の広告に登場した。
[編集] 主要大会での成績
[編集] オリンピック
- シドニーオリンピック(2000年)3位(銅メダリスト)
- アテネオリンピック(2004年)左膝靱帯の故障を押しての代表出場も、3回戦でベニシュ(ドイツ代表)にあわせ技一本負けで敗退。敗者復活戦でも、フェルナンデス(スペイン代表)に判定負け。
[編集] 世界選手権
- ミュンヘン大会(2001年)3位
[編集] 福岡女子国際
[編集] アジア選手権
[編集] アジア大会
- 1998年大会 3位
- 2002年大会 準優勝
[編集] その他
- 世界ジュニア柔道選手権大会(1996年)優勝
- ハンガリー国際(1998年)優勝
- フランス国際(2001年)優勝
- フランス国際(2002年)優勝
[編集] JAWA全日本アームレスリング選手権大会
- 2005年大会 -60キロ レフトハンド ライトハンドで共に準優勝
(FBS福岡放送の企画で、福岡市在住のアームレスリング日本チャンピオン(+65kgレフト)の中田美沙子の密着取材中、突如沸いて出た企画でジャージも用意していない飛び入り参加にもかかわらず、柔道五輪銅メダリストの地力を見せた)