成瀬之成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 慶長元年(1596年) | |||
死没 | 寛永11年10月28日(1634年12月18日) | |||
別名 | 於竹(幼名) | |||
戒名 | 伝翁直心見性院 | |||
官位 | 従五位下、伊豆守 | |||
藩 | 下総栗原藩主 | |||
氏族 | 成瀬氏 | |||
父母 | 父:成瀬正成、母:森川氏俊の娘 | |||
兄弟 | 成瀬正虎、成瀬之成 | |||
妻 | 正室:阿部正次の娘 継室:片桐且元の娘(片桐孝利の養女) |
|||
子 | 2男2女(次男:成瀬之虎、娘(小出英知室)) |
成瀬 之成(なるせ ゆきなり)は、江戸時代の大名。下総栗原藩の第2代藩主。
[編集] 経歴
慶長元年(1596年)、成瀬正成の次男として生まれる。慶長16年(1611年)から徳川秀忠の小姓として仕え、大坂の陣にも出陣して武功を挙げた。慶長20年(1615年)6月21日に叙任する。元和2年(1616年)に父が尾張藩の附家老として犬山藩に移封されたとき、父から1万4000石を分与されて栗原藩主となる。後に2000石を加増されて1万6000石の藩主となった。
寛永11年(1634年)10月28日に死去。享年39。
|
|
|