成瀬正虎
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成瀬 正虎(なるせ まさとら、文禄3年(1594年) - 寛文3年5月9日(1663年6月14日))は、尾張犬山藩の第2代当主。
初代当主・成瀬正成の長男。母は森川氏俊の娘。正室は徳川義直の生母相応院の養女。継室も相応院の養女。子は成瀬正親(長男)、寺屋直龍(次男)、娘(板倉重大正室)、娘(志水忠継室)。官位は隼人正。
寛永2年(1625年)、父の死去により後を継ぐ。ちなみに父の代から、犬山藩は藩なりの石高を持っていながら、あくまで尾張藩の家臣であり、大名として認められていなかった。つまり、正虎の地位はあくまで尾張藩の附家老だったのである。
娘は2人いて、板倉重大、志水忠継に嫁いだ。養女(成瀬之虎の娘)は、小出英知に嫁いだ。息子は2人いて、正親は万治2年(1659年)12月27日に正虎が隠居したため、後を継ぐこととなった。もう一人の息子である直龍は、寺屋直政の養子となっている。正虎は寛文3年(1663年)5月9日に70歳で死去した。法号:乾龍院一岳宗無。墓所:愛知県名古屋市中区栄の3丁目にある白林寺。
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