念法眞教
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念法眞教 |
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創始者: | 小倉霊現(親先生) |
燈主 : | 稲山霊芳 |
成立年月日: | 1925年(大正14年) |
本部所在地: | 大阪府大阪市鶴見区 |
信者: | 80万人 ※2007年(平成19年)現在、公称数 |
ウェブサイト: | 念法眞教ホームページ |
念法眞教(ねんぽうしんきょう)は、小倉霊現(小倉庄太郎、1886年 - 1982年)が1925年に立教開宗した仏教系の新宗教。
[編集] 概要
小倉霊現(同教団では親先生と称す)は、河内木綿を扱う商家に生まれたが、出生前に父が死去し祖父母に育てられた。しかし祖父と祖母も相次いで死去したため小学4年で中退、鍛冶屋や乾物屋で丁稚奉公の後、20歳で徴兵された。
除隊後に乾物屋を暖簾分けされ結婚もしたが、第一次世界大戦で親友が戦死、出征中に家業を乗っ取られる、また自身の病気、長男の病死など、立て続けに起きた不幸に悩み、樋口セイ(近所に住んでいた霊媒師。同教団では霊生院と称す)に薫陶されて、国家社会への献身を決意。
1925年(大正14年)8月3日阿弥陀如来から託宣(同教団は「ご霊告」と表現し同日付で立教とする)を受け、大峰山で修験道修行の後、四天王寺境内で参拝客相手に徒手布教に勤しみ、戦時下の新体制運動・翼賛思想を鼓舞して教勢を拡大した。
教義に見える「世の立て直し」等の語句から、同時代の出口王仁三郎(大本)の少なくない影響も察せられるが、体制迎合的な姿勢において正反対とも言える。
1939年に天台宗傘下に納まり『金剛教会』に改称したが、戦後の新宗教ブームの追い風を受け1947年に『小倉山金剛寺』の名で独立、1952年には現教団名の『念法眞教』に改めた。
「人として行うべき誠の道~五聖訓(ごせいくん)」を説き、政治運動も展開。小倉霊現は常に戦闘帽を被り、遠来の信者の便宜を図るため男性本部職員には弁髪を結わせていた。
大阪市鶴見区の総本山金剛寺(教団本部)以下、各地に念法寺および教会を置く。 ラジオで布教番組『心のいこい』を1971年から放送、民放各局にネットしている。
公称信徒数は約80万人。『念法法語集』(教典)は信徒にのみ頒布されるが、その内容は『心のいこい』で逐次紹介されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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