平野龍一
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平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年9月29日 - 2004年7月16日)は、日本の法学者。元東京大学総長。専門は刑事法。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「刑事訴訟法」)。熊本県出身。
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[編集] 来歴
同郷(熊本県鹿本町来民)の総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長。かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
[編集] 学説
その刑法学説は、犯罪論においては、師である小野清一郎と同じく旧派刑法理論の立場に立つが、違法性論において、一転して京都学派の瀧川幸辰が展開した前期旧派・古典学派が採用する結果無価値論(法益の侵害及びその危険を違法の本質とする立場)を採用し、団藤重光が採る行為無価値論(行為の反規範性をも違法の本質として承認する立場)に徹底的に批判した[1]。刑罰論においても、旧派刑法理論の道義的応報刑論を批判して、刑罰を科すことを予告することによる犯罪抑止を目的とする抑止刑論を展開し刑法の脱倫理化・客観化を推し進めた[2]。
その刑事訴訟法学説は、立法者でもある団藤重光がとる職権主義構造を本質とする立場(審判の対象は客観的な嫌疑である公訴事実も含まれるとする。)を批判し、当事者主義構造をその本質とし、審判の対象は一方当事者である検察官が主張する訴因であるとする、現在の刑事訴訟法学の基礎を形成した[3]。また、公判における当事者主義構造を捜査にも及ぼし、被疑者は取調べの客体にすぎず、取調べ受任義務があるとする実務を糾問的捜査観であるとして批判し、捜査は一方当事者にすぎない捜査官の公判の準備手続にすぎず、被疑者は他方当事者として独自に公判の準備をすることができ、取調べ受任義務はないとして弾劾的捜査官観を提唱した[4]。
[編集] 略歴
[編集] 学歴
- 旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)
- 旧制第五高等学校
- 1942年 東京帝国大学法学部法律学科卒業
[編集] 職歴
- 1948年 東京大学法学部助教授
- 1957年 東京大学法学部教授
- 1969年 東京大学法学部長
- 1977年 東京大学学長特別補佐
- 1981年3月 定年退官
- 1981年4月 東京大学総長
- 1985年 東京大学名誉教授
[編集] 叙勲歴
[編集] 主要著書
- 『刑事訴訟法』(有斐閣、1958年)
- 『刑事訴訟法の基礎理論』(日本評論社、1964年)
- 『刑法の基礎』(東京大学出版会、1966年)
- 『刑事訴訟法概説』(東京大学出版会、1968年)
- 『刑法総論I・II』(有斐閣、1972年、1975年)
- 『刑法概説』(東京大学出版会、1977年)
- 『刑法の機能的考察』(有斐閣、1984年)
- 『刑事法研究』全6巻(有斐閣)
[編集] 門下生
[編集] 脚注
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