岩國哲人
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生年月日 | 1936年7月11日(71歳) |
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出生地 | 大阪府大阪市 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
学位・資格 | 法学士(東京大学) |
前職 | 出雲市長 会社役員 |
所属委員会 内閣役職 |
決算行政監視委員会委員 予算委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例南関東ブロック(神奈川県第8区) |
当選回数 | 4回 |
所属党派 | 民主党(羽田グループ) |
党役職 | |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館706号室 |
ウェブサイト | 岩國哲人ホームページ |
岩國 哲人(いわくに てつんど、1936年7月11日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
島根県出雲市長、メリル・リンチニューヨーク本社上席副社長を歴任。
目次 |
[編集] 概要
- 大阪市出身。1943年に父を亡くし、郷里の島根県簸川郡に移住。島根県立出雲高等学校、東京大学法学部を卒業後、日興證券(現:日興コーディアル証券)に入社。ニューヨーク勤務、ロンドン支店長代理 パリ支店長(中近東事務所長兼務)を務めた。
- その後、モルガンスタンレーを経て、メリルリンチの会長に招聘され、同日本法人の社長兼会長に就任。1987年にメリル・リンチ・ニューヨーク本社上席副社長に就いた。[1]。
- 1989年、故郷の出雲市長選挙に出馬し当選。政治家か新聞記者か教師になることを望んだ少年の日からの夢を実現した。市長時代は医療磁気カードの導入など、名物市長としてメディアで取り上げられた。
- 市長退任後、東京都知事選挙、山梨大学学長選挙に相次いで出馬するが、それぞれ3位で落選。
- 1996年、新進党から衆議院議員総選挙に出馬し当選。国会議員として活動する傍ら、「日本海新聞」と「大阪日日新聞」(姉妹紙)の月曜日にコラム「一月三舟」を連載した。
- 1998年参院選・東京選挙区で自身の所属政党である民主党公認の小川敏夫ではなく、公明代表浜四津敏子を支援した。しかし、ペナルティーを受けるどころか鳩山邦夫離党後に民主党東京都連第2代会長に就任した。[2]
- 1999年9月、中国(天津)南開大学客員教授。
[編集] 所属議員連盟
- 憲法調査推進議員連盟
- 民主分権の会
- 朝鮮半島問題研究会 会長
- 日朝国交正常化推進議員連盟 副会長
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟所属
- 日韓議員連盟
- 民主党娯楽産業健全育成研究会(パチンコ・チェーンストア協会のアドバイサーでもある)
[編集] 略歴
- 1936年(昭和11年)
- 1955年(昭和30年)
- 3月 - 島根県立出雲高等学校卒業。
- 1959年(昭和34年)
- 1977年(昭和52年)
- 5月 - モルガンスタンレーインターナショナル入社。
- 1984年(昭和59年)
- メリルリンチ日本法人会長兼社長。
- 1988年(昭和63年)
- 10月 - バージニア大学経営大学院客員教授。
- 1989年(平成元年)
- 1995年(平成7年)
- 東京都知事選挙(無所属)落選。824,385票。
- 1996年(平成8年)
- 3月 - エイボン・プロダクツ取締役。
- 10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙(東京都第6区・新進党公認)当選。82,160票。
- 2000年(平成12年)
- 6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙(比例東京ブロック・民主党公認)2期目当選。
- 2003年(平成15年)
- 11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙(神奈川県第8区・民主党公認)3期目当選。80,752票。
- 2005年(平成17年)
- 9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙(神奈川県第8区・民主党公認)4期目当選。78,860票(南関東ブロック)。
[編集] 出演番組
- 『岩國哲人の凛として日本~甘口・辛口・へらず口~』(アール・エフ・ラジオ日本)パーソナリティー担当。
[編集] 脚注
- ^ 週刊新潮によれば実際には子会社社長という説もある
- ^ 2000年9月、会長選挙で海江田万里に敗北し退任。岩国が神奈川へ転出し海江田が落選後の2005年10月、小川が円より子を破り第4代会長就任。2006年9月、円が第5代会長に無投票選出。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 岩國哲人ホームページ(公式サイト)
- 民主党神奈川県連